となりの億万長者〔新版〕──成功を生む7つの法則(トマス・J・スタンリー 、 ウィリアム・D・ダンコ)

2019年当時の読書感想です。書籍の対象や時点がある話を、現在の全ての富裕層の統計や成功法則としては扱いません。

「金持ちは金を使わないから金持ちになれる」とは聞いたことがありますが、本当にそうなのか。という疑問にデータから統計的に説明してくれる本です。

金持ちなら高級住宅地に住み、高級車に乗り、スーツ、腕時計は高価なブランド。という気もしますが、実際は

本を読んだ当時は、高価な車の所有と資産の多さが必ずしも一致しないという視点が印象に残りました。ここでは対象や時点を確認できない割合を、現在の富裕層全体の数字としては使いません。

食事も高級ワインなどは飲まず、ビールを飲むらしく、ブランド品も身に着けないそうです。

出自と資産の関係を、国民性や文化だけで説明することはできません。本で扱う対象集団や時代の条件を確認せず、特定の出自の人がお金持ちになりやすいと一般化することは避けます。

収入が多ければ資産家というわけではなく、10万ドル以上の収入がある人でも、浪費家はお金が貯まっていかないようですね。

資産運用も一度買った株を長年持そうです。 投資アドバイザーに「あなたが個人で持っている株のリストと、ここ3年でいくら儲けたかを教えてください。」といっても誰も教えてくれないというのも面白かったです。

子供の教育への支出と、自立をどう支えるかという点も気になりました。ただし、職業になる確率や浪費の傾向を、富裕層の子供全体に当てはめることはできません。

子供が親のように金持ちになるには、自分が金持ちであることを隠すくらいでないとだめらしいです。

なので「親が金持ちだったら金持ちになれる」というのは間違いらしいですね。

「子供に勇気を持たせるには何かを売らせるのが一番手っ取り早い。何かに立候補したり、小さなものを売ったりと売り込みをすることで自立心が育つ。」というのは目からうろこでした。

結論:金は使ったら減る

以前このブログでも書いたことが、本を通じて裏付けられたように当時は感じました。ただし、この本から誰でも一億円の資産を作れるといった結論は導けません。もっと大きな資産を持つ人の話も聞きたかった、というのが読書当時の率直な感想です。

GAFA 四騎士が創り変えた世界 (スコット・ギャロウェイ )

四騎士とはGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)のことですね。この4社がとんでもなすぎて手が付けられないという話ですね。

Google

ブロガーなどでは冗談半分でGoogle神とか言いますが、実際情報発信してもGoogleに検索で引っ掛ける価値なしと判断されれば誰からも見向きもされないサイトになりますし、アルゴリズム次第では個人のぞんざいを無かったことにできます。

会社組織にしても同じで、コンテンツなど、何かを売ろうとしても、Googleを通しているので、Googleの支配下にあるといえます。

しかし、それはどこのITシステムでも同じことが言えるような気がします。エンジニアの作ったシステムに乗っかって、中身をお任せにしていると、いつの間にか乗っ取られていたということもあり得ますね。

Apple

四騎士の中で一歩抜きんでているらしいです。なぜならカリスマ的創業者亡き後も安定的に成長し続けているからです。元々単なるモバイルPCだったものを持って居るとかっこいいもの、ブランド化したことが成功につながっています。

確かに今までパソコンなんか持っているのは一部のおたくだけだったのを持って居るとかっこいいものにしたのは世の中的にもジョブス最大の功績かもしれません。

そして、四騎士がこれからやろうとしていることに共通するのは、個人からのデータの吸い上げです。Appleの場合は生体データですね。

Facebook

人とのつながりを完全に依存することになる。世界最大の出会い系サイトですね。

Amazon

すべての小売業を駆逐して、個人が欲しいものがボタンを押さずとも届く。

脱税の世界史(大村大二郎)

2019年当時に『脱税の世界史』を読んだ感想です。歴史から現在を考えた私見と、税制の沿革を分け、源泉徴収に関する断定を訂正しました。

税金がわかると現代の裏側が見えてくる

国が存在する以上は税金があるので、何らかの形で徴収せざるを得ないわけですが、当然取られる側の人は嫌がります。

この本を読むと、取る側ととられる側の鼬ごっこの歴史が見えてきます。歴史の表と裏、そして現代の裏側が見えるので、必然的に現在の表面的な事実、出来事も深く知ることができます。

そして、これからどうなるかもおぼろげながら見えてくる気がします。

ピケティの言う資産課税はすでにあった

ふつう税金というものは所得があったり、何か目的をもって取られるもの(車が走るために道路を整備するから自動車税を取る)とかだと思うのですが、ただ金持ちだからという理由でお金をとるのはかなり難しいように思います。しかし、古代ローマはやってたみたいですね。

ただ、基本的に税金とは持ってる人から持ってない人にお金を動かすためにあるので、所得に比例して取るか、資産に比例して取るかは根本的に違いがないように思います。

現代は持ってる人が指数関数的に富を増大させて格差が広がりすぎているので、所得より資産に税金をかけたほうが良いというのがピケティさんの考えだと思いますが、現代ならよその国に移すのも簡単だと思うので、世界同時にやらないと意味いなですね。

結局お金持ちが自ら進んで税金を払うような社会システムがないと成立しないように思います。著者によると、国家はたいていお金持ちから税金をとれなくなって貧乏人からとるようになって滅んでいるらしいです。

源泉徴収の導入をどう理解するか

源泉徴収の始まりを特定人物の経験だけで説明することはできません。国税庁の資料では、日本では昭和15年(1940年)の税制改正で一部の所得税に源泉徴収制度が導入されたと説明されています。国税庁:源泉徴収制度の導入を参照してください。

年に一度とかでいきなり税金をとると払えない人が出てくるので、分割で、しかもあらかじめ給料から天引きすれば取られるほうもあまり気にしないし、取りっぱぐれないということです。

私は初めて源泉徴収されたとき、アルバイトで一時的な所得だったので、確定申告すれば返してもらえると教わったのですが、勝手に取っておいて「返してほしくば取りに来い」とはとんでもない制度だと思いました。

所得税と天引きの仕組みは別

給与から天引きする仕組みの導入と、所得税そのものの始まりは別です。日本の所得税は明治20年(1887年)に導入されており、「戦時中までサラリーマンに所得税はなかった」という説明にはできません。国税庁:所得税の導入を参照してください。

しかし、初めてみるとなかなかやめられず、現在に至るようです。

消費税の2%は結構騒ぐのに、保険料は上がってもあまり気にしていない。つまり上げ放題になっっているということですね。

結論:徴税の難しさに不安を感じた

企業にとってどこの国にいるかは特に問題ではないらしく、GAFAなど税金の安い国に逃れてあまり払っていないのは有名な話です。

それは国もわかっているのですが、高い税金はかけると海外に逃げられるので法人税はどんどん下がっています。

この本に書かれた通りならもうすぐ国家崩壊しそうですが、今までの歴史と違うところは、グローバル化しているということです。

世界中が法人税を下げているので、日本だけで革命を起こしても法人税は上げられずに、貧乏人は高い税率と、低い公共サービスで苦しむことになりそうです。

逆に言えば努力の方向さえ間違わなければ報われるということかもしれませんが。

とても面白い本だったので何度か読むと思います。

ウォール街のランダム・ウォーカー〈原著第9版〉――株式投資の不滅の真理(バートン・マルキール)

2019年当時に原著第9版を読んだ感想です。以下の市場や分析に関する話は当時の読書メモで、現在の市場動向や将来の収益を保証するものではありません。

株式投資に関してはすごく有名な本のようです。これから株を始めようという人(自分もですが)は読むべきだと思います。

バブルに関して

バブルに関しての章が面白かったですね。昔.comを社名に付けると株価が上がったという話は聞いたことがありますが、~トロニクスを付けると株価が10倍以上になった時期もあったそうです

先進的で夢のある技術にお金が集まるのはいつの時代も同じなのだと感じました。

最近のAIブームも同じようなものかと思うと勉強になりますね。

チャート分析について

株価の動きを見ているとやはりどうしても何らかの法則があるように思ってしまいますが、それもまやかしのようです。

ランダムに作ったチャートをプロのチャーティストに見せると区別がつかなかったりするようです。

株価が急騰、急落している局面などは、何らかの予測が立ちそうですが、どこまで下がるのか、上がるのかはどれだけ非合理的な投資家がいるかにかかっているので、合理的に予測するのはやはり難しいようです。

結論:インデックス投資に関心を持った

やはりプロが株を運用しても継続的に市場平均に打ち勝つことは難しいようですね。1年単位でみると勝っているという人も、連続しては勝てないようですし、何年もずっと勝ち続けているような人でも偶然勝っている可能性もあるので、来年勝てるとは限らないようです。

読書当時、私はインデックスファンドという選択肢に関心を持ちました。ただし、投資目的、使う時期、許容できる損失は人によって違い、誰にとっても最適とはいえません。インデックス投資にも価格変動や元本割れのリスクがあります。

これは個別の金融商品を勧める記事ではありません。投資の基本とリスクは金融庁:資産形成の基本を参照してください。

いらない保険 生命保険会社が知られたくない「本当の話」(後田 亨、永田 宏)

『いらない保険』を読んだ2019年当時の感想を残し、公的保障の説明を整理しました。本の評価と、個々の家庭が民間保険を必要とするかどうかは分けて考える必要があります。

“いらない保険 生命保険会社が知られたくない「本当の話」(後田 亨、永田 宏)” の続きを読む

お金持ちになるには

2019年当時の体験と考察です。知人との会話や自分の支出を振り返る文章であり、宝くじ当選者全体の統計や、資産が必ず増える方法の解説ではありません。

お金持ちと話していると結構家柄がよかったり、親がお金持ちだったりします。

なので、結論は

「お金持ちになりたかったらお金持ちの家に生まれよう」

になるのですが、例えば、宝くじに当たった人はずっとお金持ちでそのまま子供もずっとお金持ちになるかといえば、どうやら違うようです。

急に大金を得た場合を考える

億単位の大金を手に入れた場合、堅実に資産運用すれば減るどころか使いきれないほど増えていくように思いますが、現実はそうではないようです。

宝くじ当選者の使い道について、割合や期間を示せる出典は確認できていません。ここからは当選者の一般的な実態ではなく、急に大金を得たと仮定した場合の、私なりの使い方と人間関係の考察です。

幾つか使い道はあるとは思いますが、原因はこんなところでしょう。

  1. 贅沢をする(高級車や家などの高級品を買う)
  2. 親せきや友人にあげる
  3. 仕事もやめるし時間もできる

①に関しては真っ先に思いつくでしょう。お金持ち用の遊びは数多くあるし、テレビで見て一度はあこがれていた家や車を現実に購入すれば、一気にお金が減ります。

しかし、高級品などはただ買えばいいというわけではないでしょう。

高級な家を買って家具がボロボロの安物というわけにもいきません。家具はお金持ちの人がお金持ちを招いたとき恥ずかしくないようなものを買う必要があるので、変なものを買うと「こいつ何もわかってない成金じゃん」と思われ馬鹿にされかねません。

実際はお金持ちでない友人に見てもらうことになると思うので、高級な家具を見てもわからないとは思います。せいぜいデカいTVがうらやましいとか言われる位ではないでしょうか。

②についていえば宝くじに当たると急に遠い親戚から連絡が来るとよく言われます。友人についても、いきなり大金をよこせとは言わないかもしれませんが、「あぶく銭なんだから飯をおごるくらい当然」くらいは思うでしょう。

お金持がないころはたかられても「お金がないから」で済んでいたし、お金がないことは周囲もわかっているので、しつこく言わることはなかったと思います。

しかし、「お金持ってるでしょ、ちょっと位いいじゃん」といわれると、言われなれていない人はなかなか断りにくいのではないのでしょうか。

そこで「何でおごらなきゃいけないんだ!」と突っぱねると相手も不機嫌になるでしょうし、もしかしたら「大金を手に入れてあいつは変わった」とか言われかねません。

基本的に「友人の年収の平均が自分の年収」といわれるように、友人も大体同じくらいのお金しかもっていないので、お金持ちの気持ちはわかりません。

仮にそこで友人に奢ったとしたら、それからも奢り続けなければなりません。

そして、奢り続けたとして友人に対する態度は変わらないでしょうか。

「いつもおごってやってる」とか「なんで自分が」とか思ったり、態度が偉そうになったりしないでしょうか。

そしてそんな態度は相手にも伝わります。そして相手も奢ってもらっている手前、あなたの態度が変化しても指摘できないでしょう。

そうしているうちに、本当に「あいつは大金を手に入れて変わった」になるのではないでしょうか。

そして③ですが、ここが結構面白い議論のし所だと思います。

基本的にみんな仕事をつらいと思っています。

それは当たり前で、仕事とは他人のやりたがらないことを代わりにやってお金をもらうことです。それはプロゲーマーでも風俗嬢でも同じです。

なのでお金を手に入れるとおそらく、「金があるのに何でつらい仕事なんか」と思う人もいるでしょう。

しかし、それなりに使命感を持ってやっているからこそ辛いのであって、急に投げ出して自由になったところで、「じゃあ何する」になります。

そうすると、今まで苦労して仕事をしてきた分「仕事をしてもらおう」と思って消費する側に回るのではないでしょうか。

ここら辺はベーシックインカムの議論にもつながってくると思います。

お金の使い方を学ぶべき

要するにお金を持ったことのない人はお金の使い方がわからないということです。

著名人の発言を、そのまま自分の資産が増える根拠にはできません。お金を使う場合も、消費なのか投資なのか、失って困る金額なのかを区別する必要があります。

例えキャバクラで何百万使って豪遊したところで「いい勉強になった」以上に得るものがあるとは思えません。

長期の運用や複利という考え方には関心がありますが、株式投資には値下がりや元本割れのリスクがあります。「低リスクなら必ず何倍にもなる」とはいえません。

宝くじに対して「愚者の税金」という批判的な呼び方もありますが、それは制度の法的な根拠ではありません。購入の理由は人によって違い、私はまず支出の優先順位を考えたいと思っています。

「お金をもらった罰」としての所得税や「お金を使った罰」としての消費税より、文句を言われずにお金を集められます。

「寄付のつもりで買っている」という人もいるかもしれませんが、それならば国に直接寄付したし、税金を多めに払ったりすればいいのではないでしょうか。

お金持ちの人と話していて思うのは、自分が勉強しなければわからなかったことを最初から知っているんだなぁということです。

人に何かを頼むのがうまく、もらった時にはきちんと感謝をし、いやなことはきちんと断る。お金持ちはケチと言われますが、自分のルールを守って、使いどころ以外では決して使わないということを、親から受け継いでいるのではないでしょうか。

宝くじに当たるのはいきなりヘリコプターで山のてっぺんにいきなり連れてこられるようなものだといいます。体力も技術もない人が、山の上で暮らせるわけもなく、一番下に降りたとしても、2度と頂上に行くことはできないでしょう。

しかし、頂上の景色だけは知っています。2度と登れない山の頂上の景色を一生忘れられずに過ごすのでしょうか。

結論:お金持ちになりたければお金持ちを見て学ぼう

私はまずは「お金は使ったら減る」というところからスタートしています。元々ニートだったのであまり使うことはなかったのですが、収入が安定してきたたり、周りの人に合わせるために少しづつ使う量が増えていきました。

しかし、よく理解せずに買い物をすれば身につかず後で後悔することになります。

バーベルなどは買って1ミリも後悔していませんが、押し入れには使いどころのなかった便利グッズがいっぱい増えました。やはり、両学長がおっしゃっている

貯める→収入を増やす→投資

の順番ですね。言い換えると

お金を使わない→時間を無駄にしない→資産を守る

になるでしょうか。

投資の判断には元本割れなどのリスクを伴います。参考:金融庁:資産形成の基本

プロテインで食生活を見直した記録――「食べるだけで痩せる」わけではない

これは2019年当時の食生活と体重の変化を振り返る個人の記録です。プロテインを飲むだけで痩せることを示すものではありません。食事や運動も同時に変わっているため、体重の変化を一つの食品の効果とは断定できません。

“プロテインで食生活を見直した記録――「食べるだけで痩せる」わけではない” の続きを読む

ペットショップ

2019年当時にペット販売と命の扱いについて考えた文章です。漫画から受け取った印象と、実際の飼育・法制度についての事実は分けて読みます。法制度に関する誤った断定は訂正しました。

愛玩動物の末路

この間ふと疑問に思いました。「ペットショップで売れ残っと動物はどうなるのだろう」

私がなぜ疑問に思ったのかというと、普通の経済動物には看取りの場面が必ずあるからです。

例えば、『百姓貴族』という漫画があって、農家の生活をテーマにしたギャグエッセイ漫画ですが、内容は農家の生活がいかに非常識かをコメディとして描いたもので、その非日常感や、動物や自然との戯れが面白く、私も大好きな漫画なのですが、ギャグのふりをしてかなりまじめな部分も描いており、その一つが動物を殺処分する話です。

家畜は利益を生み出さなくなった時点で処分せねばならず、それは経済動物として生まれた時点でしょうがないことで、かわいそうだからというだけでペットとして飼っていたら農家がつぶれてしまいます。

農家の人ももちろん殺したくはないし、殺処分が問題というのなら、それを消費する社会全体の問題としてとらえねばなりません。

ですので、農家の方もできるだけ生かそうとするし、苦しまずに何とかしようとしたり、別れの瞬間にもやもやした感じになるのが描かれています。

荒川氏はそこに納得出来なかったようで、その経験がヒット作『鋼の錬金術師』に生かされています。主人公の錬金術師の兄弟は幼いころに母親を亡くし、その寂しさから母親の復活という、禁じられている錬金術を行おうとします。しかし、完璧なはずの術が失敗し、代償に自分たちの体を奪われることになります。

これは荒川氏の「命は特別である」という考えに基づいていると考えられます。

私は最終回で命に対する何らかの答えを示すものと考えていましたが、「わかるはずのないもの」というのが答えだったように思いました。

私の思い込みかもしれませんが、農家の方には命に対するリスペクトがあるように思います。家族経営している場合自分の子供に「モノだから壊れたら捨てるだけ」と教えるとも思えませんし、アメリカのように狭い柵の中にぎゅうぎゅう詰めで育てたり、フォアグラのように不健康に育てて太らせる文化も元々ありません。

ではペットショップの場合どうでしょうか。

経済動物の場合殺す場面は必ずあるはずです。けがや病気にもなるし、大きくなった犬猫は需要は低いでしょう。売れないからといって飼い続けたら餌代がかかるだけですし、よそにあげていたら販売価格自体下がってしまいます。

このブログで書いた曲がったきゅうりの話です。

まっすぐなきゅうりを食べるためには曲がったきゅうりを捨てなければいけません。

動物取扱業者などからの犬猫の引取りは、相当の理由がない場合に自治体が拒否できる仕組みがあります。ただし、引取りの可否と、動物を虐待・遺棄してよいかは別問題です。法改正前なら何をしても罪に問われなかった、という説明は不正確です。

しかし、2014年にブリーダーが80匹の犬を河原に遺棄する事件が発生しました。河原に遺棄することで事件が明るみに出ましたが、もし焼却なり、埋葬なりしていた場合誰にも気づかれません。

動物を引き取る業者の実態については、具体的な出典や対象が確認できていないため、料金や飼育状況を業界全体の事実としては示しません。取引後の飼育や管理が見えにくいことへの懸念と、確認済みの事実を分けたいと思います。

愛護動物の虐待や遺棄は犯罪です。十分な餌や水を与えない、病気やけがを放置するなどのネグレクトも虐待に含まれます。具体的な事案をここで裁定することはできませんが、「法律で問えない」と一括して述べることはできません。環境省:虐待や遺棄の禁止を参照してください。

動物の販売に関する制度は国や地域、動物の種類で異なります。欧米の多くで店自体が禁止されている、という一括りの説明は避けます。比較する場合には、その地域の現在の制度を個別に確認する必要があります。

結論:知らないでは済まされない。

私は、かわいさだけでなく、生まれてから販売後までの飼育環境にも目を向けたいと思っています。ただし、購入のたびに必ず別の動物が処分されているとは断定できません。迎える側も、最後まで適切に飼えるかを考える必要があります。

ちょっと経済学っぽい話

2019年当時、曲がったきゅうりをめぐるテレビの話から考えた個人的な経済のメモです。以下の将来像は予測結果ではなく、単純化した仮定を使った考察です。

曲がったきゅうりはなぜ店にないのか

以前TVで食糧問題がテーマの番組をやっていた時、「店にまっすぐなきゅうりしかなのは他を捨てているからで、もったいない」という話をしていました。

確かに一部は加工食品に回しているようですが、同じサイズの野菜を作ることなど不可能なはずなのに店頭には同じサイズしか並んでいないのは不自然な気もします。

「捨てるのもったいない。曲がってても買う。」という人も多いでしょう。

では、我々は店頭にまっすぐなきゅうりと曲がったきゅうりが置いてあった場合どちらを買うのでしょうか。

おそらくほとんどの人がまっすぐなきゅうりを買うでしょう。

牛乳などでも奥のほうから賞味期限が一番長いものを取り出して買う人がいるのに、同じように並んでいるのに曲がっているものを買うのは何か損をしたような気がしませんか?

1円でも安いものを買いたい、損をしたくないといった心理ができるだけよいものを選ぼうとするのかもしれませんね。

なのでもったいないと言っている人の本音は「曲がっているものでも買うよ、ただし安ければね。」ということでしょう。

しかし、売る側の立場からすれば、1個当たりの値段はできるだけ高くして売りたいはず。『国富論』にも書いてありますが、人間が1日に食べられる量には限界があるので、大量生産してもたくさん買ってくれるわけもなく、売れ残ってしまいます。なので、できるだけ単価は上げておきたいのです。

農業への支援を国際比較するには、補助金、所得、売上など何を分母にした数字か、どの年と地域かをそろえる必要があります。元の文章で挙げた割合は出典と定義を確認できていないため、ここでは比較値として使いません。

これを、国に頼らず農家の自助努力とそれを支える消費者に支えられて日本の農家が成り立っているとみるべきなのか、国の基盤をかなり不安定なシステムに負担をかけながら成立しているとみるべきなのかはわかりませんが、今回は別の話。

価値は自分で決められるが価格は他人が決める

経済学はいくつかの単純な原則から始まっています。

  1. 同じものなら少ないものは安い
  2. 腐るほどあったら無料
  3. 情報の完全性

等々ですが、1はリンゴ2個より1個のほうが安いのでわかりやすいですね。2はよく空気でたとえられますが、無いと死ぬけどなくて困ることがないので無料ということですね。3はちょっとややこしいですが、どのお店が一番安いかはみんな知っている。ということです。

キュウリで言うと、1では曲がっていてもデカくてお得と考える人がいたとしても、変なきゅうりということで価格が安くなってしまうので廃棄されてしまう。

人間も一緒で、例えば恋人がかっこ悪い服装でデートに来る場合、自分がその人を本当に好きだとしても、周りの人にばかにされたり低く見られたりしてしまうので関係を考え直さざるを得ないなど。

供給量が価格に影響することはありますが、多く捨てた分のコストを残り一個に自由に上乗せできるわけではありません。買い手の需要や代替品も関係するため、「100個捨てれば一個で100個分売れる」という説明は不適切でした。

なので、昔に比べて格段に生産性が上がっているのに昔と同じもののはずのきゅりの値段が高くなっているのは単に数字上のものではなく、「品質」が上がっていると解釈できます。

なので、もしAmazonが大量生産で1個1円のキュウリとかを作ってドローンで無料配達してきゅうり農家をすべてつぶすことも将来的には可能なのかもしれません。

3が一番非現実的に見えるので、経済学の不完全性の話でよく出てきます。普通に考えて日本全国で値段も違って当たり前、実質近所のスーパーしか行けないし、すべての広告に目を通すのも無理な気もします。

しかし、ネット通販のおかげで、最安値を瞬時に判断して購入することができるようになってきています。

さすがにきゅうりは無理じゃないかと思われるかもしれませんが、さっきの話のように、Amazonが現地の土地を買い、野菜工場で自動生産し、主婦がぽちっと押すとドローンがきゅうりをもいで数十分で持ってきてくれるとなると、新鮮なきゅうりが数円で手に入るのに、スーパーへ行く意味がありません。

農家の人はもとより、運んでくれる運転手の人から農協、卸売市場、レジのお姉さんや品出しのおじさんまで一気に失業かもしれませんね。

結論:経済学を通して未来の条件を考える。

今現在、テクノロジーの発達が資本主義に拍車をかけています。資本主義とはつまり ”お金”主義。お金があれば何でもできると信じることです。もちろん、今現在、永遠の命を望んでもかなわぬ夢ですし、ビル・ゲイツが明日金星に行こうと思ってNASAに電話しても「明日はやめておこう」と言われるでしょう。

テクノロジーが生活の選択肢を広げることには期待があります。ただし、iPS細胞で臓器をすべて交換して永遠に生きられるという根拠は、この文章にはありません。将来の技術を空想することと、実現可能な医療や事業の説明は分けます。

テクノロジーの発達が、お金でできる領域をどんどん増やしているのです。

しかし、どんなにテクノロジーが発達しても、資本主義というシステムの上で運用されるので、「お金がないと何もできない」という状況にもなりかねませんし、「これからの未来はどうなるんだろう」という不安も付きまとうでしょう。

なので、経済学の一形態である資本主義を理解するにはやはり経済学を勉強しないといけないということですね。

ホリエモンが年金騒動に油を注いでいる件

いろんな有名人や評論家の人がホリエモンを批判していますね。彼らの言うことはもっともで、年金は破綻しなくとも、若い世代はもらえる分が少ないのに年金を徴収されている人がほとんどなので、税金でないのなら返せといえば返さなければいけないような気はします。

しかし、ホリエモンが言いたいのはそもそも国に頼らず自分で稼げということでしょう。つまり、「泥棒は金返せ」と言っている人と、「泥棒が金返すわけねぇ」と言っている人の対立に思えます。

どちらが正しいのかというと、正しさで言いえば金を返せと言っている人でしょうか。正当なプロセスを経て自分の意見を言い、行動を起こしている人が間違いなわけがありません。やはり、泥棒は金を返すべきです。

ただ、この議論の根底にある問題は政府への甘えだと思います。

国民が「だまされた。ひどいよ。」と言って評論家も正当な手続きを経て法律を変えるべきと促していますが、言い方は悪いのですが子供の駄々をあやして仕事している気になっているようにも若干見えます。

現実問題、高齢者のほうが多い現状、選挙で現行の制度を覆すのは不可能でしょう。年金制度以前に、格差の広がり、雇用の喪失、引退という概念のあいまい化の末、年金と生活保護を一体化する可能性は私は高いと考えています。

つまり、結局自分の身は自分で守るという常識に落ち着く議論ではないでしょうか。