昔の親は楽だったのかもしれません。子供に勉強しろというのは当たり前だったからです。
高学歴の取得には多少の疑問を持ちつつも、それでも余程の才能ややりたいことがない限り、勉強すべきというのが親、教師、子供の共通認識だったように思います。
しかし、現在その共通認識が崩れているように思います。実際独立している若い人は面白いアイデアなどを考えて、特に何か学問を納めずとも成功している人が多いように思います。ホリエモンも「学校へ行くのは無駄」と言っています。
彼らも勉強をするなとは言っていません。逆に人よりはるかに勉強をして行動しろと言っています。
これは昔からそうなのですが、企業の社長や成功者は本の中で自分の哲学や思想を語ります。それは生き方に迷っている人間に勇気や示唆を与え行動を促すということで、意味のあることだとは思います。
しかし、そういった本はその人の体験談や考え方を書いているだけで、学問としての哲学とは全く別のものだと思います。もちろん同じ考え方を別の言い方に置き換えているだけで、根本的に同じことだったりはしますが、人間である以上所詮自分の意見に過ぎず、学問的なつながりの上に成り立つカントやウィトゲンシュタインの思想とは全く別物でしょう。
法律というシステムはそもそも西洋哲学の上に成り立っています。西洋哲学を学ばなければなぜその法律があり、何が根拠でなぜ必要なのかなどがわかりません。
私が危惧するのはそういった大きな学問的体系を無視して独自の思想で突っ走る集団が今後現れるのではないかということです。
今いるインフルエンサーという人たちが自分の経済的成功を背景に若者にビジネスを超えて思想や哲学について語り、 人生を指南するときそういった学問的背景、過去の天才が人生を賭け書物として後世に残し、後の天才たちが革命的アップデートを施し完成に近づけてきた学問を横に置いておいて、「わからなくても即行動する!」ということで何かをやらかすのを社会は止められるのでしょうか。
今までは何をやるにも国家や法律の下でルールを守ってやるのが当たり前でした。しかし、今後は個人や企業の力が大きくなり、国家を形成することも可能でしょう。独自の通貨を持ち、近代の許容できない思想で動く集団が今後現れるかもしれません。
結論:勉強は知らない人と仲良くなるためにする
恐らく、今後は小学校卒業程度の知識や常識を持たず、しかし知能や個人としての能力や求心力は高いという人がたくさん現れると思います。しかし、人間がサルから進化したことを知らない人は、黒人の方と初めて会った時に肌の色の違いだけで人間ではないと思った愚を繰り返しかねません。今まで見たこともない、考えたこともないことを排除して生きるのは簡単で思い切りがいいようですが、人生は理解できないことの連続です。わからないことに出会ったときに、先人の知恵が少しは役に立つかもしれません。