AIで無くなる仕事

2013年オックスフォード大学のマイケル・オズボーン教授の論文によると、10~20年で47%の仕事が機械による自動化で失われると予測しています。

実は海外に受注できる仕事も50%程度あるそうですがこの二つがどれだけかぶっているかは不明です。もしかしたら先進国の人間からはすべての仕事が失われるのかもしれません。

まず、以前このブログで書いたようにAIとは本質的にはプログラムによる自動化のことなのでディープラーニングを使っているかどうかは本質的には関係ないということでした。

人類は有史以前から自分たちの作業を単純化、効率化、仕組み化してきました。火の起こし方や獣の狩り方、食べられる植物の集め方など、大昔は何代にもわたって受け継がれていたのでしょう。

彼らの時間の感覚は非常に遅く、ちょっとした改革を起こすのにも世代を幾つか要したはずです。

それこそ、狩猟採集から農耕へ移行するのにも何万年もかかっているのでしょう。

しかし、工夫が工夫を呼び、効率化がさらなる効率化を呼びました。

ITバブルからケータイの普及、ディープラーニング。これらはここ20年程の出来事です。

スティーブ・ジョブスが生前、数少ないビデオインタビューで「コンピュータによる技術革新の100年が今始まったばかりだ。」と言っていました。

人間の積み上げられるシステムはまだまだ残っているようです。身近にある効率化できる仕事はいくつもあるように思います。

私が最初に思いつくのはコンビニです。

歓迎してもいないのに必ず「いらっしゃいませ」といい、感謝もしていないのに「ありがとうございました」という。実作業はレジ打ちと品出しですが、会計処理は単純なので子供でもできます。品出しは必要な気もしますが、常時店にいる必要はないでしょう。工夫次第では品出しも必要ないように思います。

確かに気持ちよく挨拶されればうれしくなりますし、美男美女がいればそれを目当てに行く人もいるでしょう。

しかし、どんな接客をしようと、コンビニの売り上げが大幅に変わることはありません。結局費用対効果を考えて近くの店か安い店に行くでしょう。

コンビニの自動化の議論で必ず「接客がいないと寂しい」という話になりますが、そんな人達も結局は安い店に行くのではないでしょうか。

自動化した店のほうが店員を雇わなくていい分、価格は抑えられるからです。例えそれで自分の子供の雇用を奪うことになっても。

寂しいという人は店内のスペースで客同士コミュニケーションをとればいいでしょう。

もっと言うと店員が必死に接客をしようと、店員に何か有用なスキルが身につくわけでもありません。

人生に無駄はありませんが、それを評価してくれるのは他人です。

コンビニ店員のキャリアを高く評価する企業や顧客がいるとは思えません。

コンビニ店員の雇用を生み出すより、若者にスキルの身に着けられる職場を提供したり、トレーニングの機会を与えるほうが社会にとって大切なのではないでしょうか。

店の自動化の試みは以前からありました。なので、技術的にはすぐにでもできますし、現にキヨスクや大手スーパーではやっています。技術革新などなくてもできることはいくらでもあります。

電子書籍などもそうで、私は10年ほど前にKindleを買いましたが、最初に見たときは「なんじゃこれ」と思いました。画面が子供のころに遊んだゲームボーイと同じだったからです。

ゲームボーイとはNintendoのケータイゲーム機で、当時最初に出たときは白黒でしたが、夢中になって遊びました。

画面の解像度などは違いますが、基本的に中身は大差ないでしょう。

つまり、電子書籍とは技術革新の結果生まれたものではなく、持ち運びやすさ、収納性、管理のしやすさなど、モノがあふれた現在の社会状況に必要とされた結果普及しただけだということです。

なので、なくなる仕事を考える場合、AIがどうとかはひとまず置いておいてもいいのかもしれません。

結論:仕事を一所懸命やればいい

身近にある単純な仕事をとことんまで効率化し、究極的には自分自身不要になるところまで仕組み化をやってみるべきでしょう。

我々は現在狩りにもいかないし、木の実を集めなくても飢え死にしませんが、昔はよかったとを嘆く人はいません。

しかし、狩りに行きたければ行ってもいいし、獲物がいる限り猟師がこの世からなくなることもありません。

状況はあまり変わっていませんが、スピードが速く、戸惑っているだけなのです。

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