池の水全部“は”抜くな! (月刊つり人編集部 (著))

2019年当時の読書感想です。生き物の命を扱うことへの私の疑問は残し、外来種の定義や増減に関する一般化を訂正しました。

以前から私が疑問に思っていた外来種の駆除に対して深掘りされている本です。

外来種の駆除は確かに必要かもしれません。ヒアリなどの日本にいなかった種が突現日本に現れ何らかの被害にあう。ましてや被害者が子供ならおちおち外で遊ばせられないし、パニックになるのは当然でしょう。

しかし、私が依然見たTVの中でニホンザルと外来種の猿の交配が問題になっていました。交配してしまったらその子供はニホンザルとの区別がつきにくく、純粋なニホンザルを守るために外来種のサルやその子供は駆除してしまおうという話でした。

その時に非常に違和感を覚えたのです。まず、外来種であろうが何であろうが、生き物の命を奪うのにはそれなりの「言い訳」がいります。食べなければ死ぬとか、家畜を害するからなど仕方なく生き物の命を奪うのであって、誰だって犬や猫を悪戯半分で殺していたら違和感を持つでしょう。

はたして、外来種のサルの駆除が、人間の倫理観に照らして妥当といえるのでしょうか。ニホンザルからしたら、自分のパートナーや子供を殺されるわけですから「守ってくれてありがとう」ではないはずです。

「外来種」という生物の分布に関する概念と、外来生物法の対象は区別が必要です。環境省は、同法が海外由来の外来種に焦点を当て、明治時代以降に導入されたものを中心に対応すると説明しています。「明治以前なら外来種ではない」という定義ではありません。環境省:侵略的な外来種を参照してください。

他にも、人間の利益になる外来種もいます。ムール貝などは昭和初期に海外からくる船によって運ばれてきた外来種ですが、食用として利用されています。

そもそも、人間に害のある種は在来種であろうが変わりません。スズメバチは年間熊より人を殺していますが、絶滅させるべきでしょうか。

外来種の増減や影響は種や地域で異なり、増えた後に必ず無害な状態へ落ち着くとはいえません。私は駆除の目的や生態系全体への影響も考えるべきだと感じましたが、それを特定の防除が不要という判断に直接結びつけることはできません。

そもそもエコロジーに関しての議論はいつも「絶対的な自然」があるという前提ですが、現在人間のかかわっていない場所などありません。田んぼにカエルがいることには確かに風情を感じますが、田んぼは人間の作ったもので自然とは言えないでしょう。しかし、現在地球が温暖化しているならば、地球のどこにも手付かずの自然はないということになります。

偉大な自然や、美しい自然に思いをはせるのと、実際に人間ができる最低限のこととは区別すべきでしょう。

なので、この本の結論としても最低限の害獣、害虫駆除はするべきだが、あまり極端なことは無理だというものになっています。

やはり、極端なことあまりよくありませんね。

何故勉強すべきなのか

2019年当時に考えた、勉強する意味についての個人的な意見です。社会の変化に関する予測も、当時の見方として記しています。

昔の親は楽だったのかもしれません。子供に勉強しろというのは当たり前だったからです。

高学歴の取得には多少の疑問を持ちつつも、それでも余程の才能ややりたいことがない限り、勉強すべきというのが親、教師、子供の共通認識だったように思います。

2019年当時、学校に通う意義を問い直す意見に触れ、学歴と学ぶことは別なのではないかと考えていました。

ここで私が考えたいのは、学校に通うかどうかだけでなく、自分で学んで行動することの意味です。

これは昔からそうなのですが、企業の社長や成功者は本の中で自分の哲学や思想を語ります。それは生き方に迷っている人間に勇気や示唆を与え行動を促すということで、意味のあることだとは思います。

しかし、そういった本はその人の体験談や考え方を書いているだけで、学問としての哲学とは全く別のものだと思います。もちろん同じ考え方を別の言い方に置き換えているだけで、根本的に同じことだったりはしますが、人間である以上所詮自分の意見に過ぎず、学問的なつながりの上に成り立つカントやウィトゲンシュタインの思想とは全く別物でしょう。

法律や制度の背景を考えるうえで、哲学や歴史を学ぶことは手がかりになると思います。ただし、法律を理解する方法が西洋哲学だけに限られるわけではありません。

私が危惧するのはそういった大きな学問的体系を無視して独自の思想で突っ走る集団が今後現れるのではないかということです。

今いるインフルエンサーという人たちが自分の経済的成功を背景に若者にビジネスを超えて思想や哲学について語り、 人生を指南するときそういった学問的背景、過去の天才が人生を賭け書物として後世に残し、後の天才たちが革命的アップデートを施し完成に近づけてきた学問を横に置いておいて、「わからなくても即行動する!」ということで何かをやらかすのを社会は止められるのでしょうか。

今までは何をやるにも国家や法律の下でルールを守ってやるのが当たり前でした。しかし、今後は個人や企業の力が大きくなり、国家を形成することも可能でしょう。独自の通貨を持ち、近代の許容できない思想で動く集団が今後現れるかもしれません。

結論:勉強は知らない人と仲良くなるためにする

今まで見たこともない、考えたこともないことを排除して生きるのは簡単で思い切りがいいようですが、人生は理解できないことの連続です。わからないことに出会ったときに、先人の知恵が少しは役に立つかもしれません。

自動運転の最終形態(車は誰のものか)

これは2019年当時に考えた自動運転と所有の将来像です。未来の仮説を残しつつ、安全性を保証する記述は訂正しています。

前回、自動運転が実現すれば車をスマホで呼ぶ課金制になると書きました。

ですがそこに至るまでには紆余曲折あるでしょう。

自動運転は安全か

自動運転には人の不注意などを補う可能性がありますが、認識や判断の誤り、機器の故障、想定外の環境などによる事故リスクは残ります。「プログラムはミスをしない」とはいえず、安全性は機能の範囲や使用条件に応じた検証が必要です。

運転支援と自動運転の範囲を混同しないことが重要です。レベル2までの運転支援では運転者が周辺を監視します。システムの限界や運転者の義務は、車両の説明書と法令に従って確認してください。

もちろん0ではありませんが、何らかの例外が起こった場合はプログラムを修正し次回に生かすことで適切なフィードバックループが回ります。

事故から学びシステムを改善することは重要ですが、更新だけで同じ事故が必ずなくなるわけではありません。車両ごとの仕様、検証、運用にも課題が残ります。

では、仮に自動運転車と普通の自動車が同時に走っていたらどのような社会状況になるでしょうか。

普通の自動車は嫌われる

以下は、自動運転の安全性が十分に高まり、社会に広く受け入れられたと仮定した場合の、2019年当時の想像です。現在の事故率の比較や、将来の社会状況を実証したものではありません。

今までは自宅に高級車が置いてあるのが自慢だったのが、周りから白い目で見られるようになるでしょう。恐らく飲酒運転に近い扱いを受けるのではないでしょうか。

かつて酒を飲んで車を運転するのはそれほど悪いことではありませんでした。今では考えられませんが、『刑事貴族』という90年代のドラマで刑事がクラブで酒を飲んでいるときに事件が発生し、急いで現場に車で急行という場面が普通にありました。

TVで飲酒運転による事故があってかなり騒がれてから飲酒運転が厳罰化し、だいぶ状況が変わりましたが、飲酒運転を厳罰化したからといって自動車事故による死者数が減ったかどうかはわかりません。それよりも免許証の取得を厳しくした方がよほど有効的だったと思うのですが。

というわけで、自動運転が普及し出したら普通の自動車の肩身がかなり狭くなるでしょうし、保険料も高くなるでしょう。というより自動運転の場合自分で所有していないので保険料はオーナーが払うことになるでしょう。

自動運転車のオーナーとは

これは自動運転車だけに限ったことではありませんが、「所有権の分割化」が今度進んでいくことになるでしょう。

仮に運転が自動化されても、整備、運行管理、利用者対応、緊急時の判断などの仕事や責任は残ります。外注することと、責任がなくなることは違います。

車両を所有する人と、運行や保守を担う人が分かれる事業形態は考えられます。ただし、必要なのがお金だけになるとはいえず、投資すれば利益が得られるという説明でもありません。

私が面白いと思うのはここでもやはり「犯人捜しの問題」は発生するだろうと考えられることです。自動運転といえど事故を起こすことは必ずあります。しかし低いコストと人間より少ない事故率により、やめる選択肢はありませんし必要もありません。そういった時自動運転による事故を社会はどう受け入れるのかにすごく興味があります。

結論:自動運転の本質は自動車の社会的費用に社会が耐えられなくなっているということ

かつて経済学者の宇沢弘文先生が「自動車の社会的費用」という本を書かれました。社会的費用とは環境問題や公害など、単なる物の売り買いでの当人同士の損得を超えたところで社会にかかっている迷惑のことですが、かつて公害が社会的に問題になり、自動車事故による死者数も1万人を超えていましたが、それにも関わらず車に乗り続けた現代人が、軽自動車に乗り、あまりスピードを出さず、今度は運転自体がめんどくさいといっています。

宇沢弘文先生は「自動車は危ないからみんなで乗るのをやめよう」と言っていましたが、当時誰も聞く耳を持ちませんでした。しかし、現在それが「面倒くさい」「お金もったいない」といった理由で実現しようとしているように思います。自動運転にして課金制にし、必要な費用だけ最低限支払うようにすれば、かなり自動車にかかるコストは低くなりますが、果たしてどちらの時代が人にとって幸せだったのでしょうか。

機能の範囲を理解する参考:国土交通省:自動運転のレベル分け。本記事は現在の運転操作や投資の判断を指示するものではありません。

保険会社はなぜ儲かるのか

2019年当時の会話と保険業界への私見を残した記事です。会社や商品を一括して評価する調査ではありません。保障の選択は家計や公的制度も含めて個別に確認する必要があります。

最近保険の話をしていて他の人とかみ合わないことがあるのですが、どうやら保険とは何かをわかっていないようなので解説したいと思います。

保険の始まり

保険の始まりは、船の航海がまだ安全でなかったころ、船主と荷主で負担を分け合ところから始まりましたが、14世紀ごろに航海が失敗したときには積み荷の代金を金融業者に払ってもらい、成功したときには金融業者に手数料を払うという仕組みが生まれました。

保険は、契約で定めた損失や事態に備えて、保険料を負担し合う仕組みです。賭け事そのものと同一視すると、保障を買う役割が見えにくくなります。

「掛け捨てはお金が還ってこないからもったいない」という話を聞くことがあります。ただし、給付がなかったとしても、契約期間中の保障を受けていた点は考慮する必要があります。

保険会社の儲けのしくみ

なので、保険会社がもうけを出すためには、生命保険の場合はできるだけ死なず、自動車保険ならできるだけ事故にあわないでいてくれた方がよいわけです。

保険会社はどれくらいの確率で支払いが発生するのかもかなり細かく計算しています。未来が予測できないから我々は不安になり、安心するために保険料を払うのですが、ここが結構騙されそうになるポイントですね。

つまり、保険会社はたいして危なくないのに「危ないですよ」と言って保険に入らせることもできるということですね。

社内の若い社員が「2人に1人ががんになる」という説明を聞いて保険を検討していたことがありました。私はその説明の受け止め方が気になりました。生涯のリスクと、ある年齢で一定期間に罹患するリスクは別なので、分母や対象期間を確認する必要があります。ここではその年齢の確率を未確認の数字では示しません。

もちろん単に当たった外れただけではありません。セールスや事務員の給料、保険の開発費やTVで流れるCMなどの広告費も費用です。

保険会社は将来の給付に備えて資産を運用します。ただし、保有する資産の大きさと、その会社の利益率は別です。株主名簿に名前があることだけで儲けの大きさは判断できません。

実際の保険料はいくらなのか

保険会社はあくまで営利企業なのでこのように我々がお金をプールしておいて困ったときにもらうという仕組み以外に自分たちの儲けのためにいろいろな仕組みがあります。

保険料には保障のための原資や事業運営の費用などが関係します。開示される資料や費用の示し方は会社・商品で異なり、一社以外は一切公開していないとは断定できません。契約前に商品の説明資料と費用を確認します。

結論:必要な保障と費用を確認する

もちろん会社が儲けようとすることは悪いことではありません。しかしお客さんも同時に得をしないと会社に存在価値などありませんし、その商売は悪いことになります。

なので我々にできることは、できるだけ勉強して金融リテラシーを身に着け変な保険に入らないということですが・・・

私の考えですが、今日本で保険を売るのは非常に簡単になっています。先ほど述べたようにガンを恐れてがん保険に入る若者や国があてにならないから民間の保険に入るという人や、病気になったときいくらかかるのかも分からずとりあえず医療保険に入る人など、かなり楽な商売になっているのでしょう。

今後消費者が賢くなって保険会社が追い詰められていい商品を販売するようになるとは思えません。むしろ「不安だから助けてほしい」「面倒くさいからとりあえず入る」が増えてぼったくり商品が増えるでしょう。

しかし、一方でP2P型の保険など、保険会社が介在しなくても済むような保険がブロックチェーンなどのIT技術の進歩で開発されています。恐らく一方的にぼったくり保険が増えるのではなく、二極化するのではないでしょうか。

どの保険が必要かは、家族構成、貯蓄、公的保障、負担できない損失によって違います。掛け捨ての生命保険と自動車保険以外は一律不要、とはいえません。ここで述べた業界への印象を、個別の契約・解約の結論と混同しないでください。

公的保障の例は協会けんぽ:傷病手当金などで確認できます。加入する制度や支給条件は人によって違います。

自動運転の最終形態

2019年当時の未来予想と個人的な考察です。記事中の「これから」「現在」は当時の文脈であり、現行の運転支援機能で自由に眠ったり、監視をやめたりできるという意味ではありません。

自動運転が実現しそうになってからずいぶん経ちますが、あまり進展はないようですね。

2019年当時は、自動運転の普及までどれほど時間がかかるのかを気にしていました。この記事はその頃の将来像の考察で、現在の普及状況や実現時期を予測するものではありません。

ただ、実現した場合の経済効果は計り知れないので、自動運転が実現するとどうなるのかを考えたいと思います。

自動車がかつての「馬」になる

一番手っ取り早い説明がこれですね。「全部自動化は無理」とか言われますが、現在馬は車道を走っていません。

馬を交通手段として使う場面との比較は、社会の変化を考えるための比喩です。軽車両だから歩道を自由に通れるという意味ではなく、実際の通行には法令上の条件があります。

なので、自動運転が実現したら競馬場で馬が走れるように、自分で運転するときはサーキットに行くことになるでしょう。

自分で運転しないなんてつまらない?

これもよく言われることですが、自分で運転できないとつまらないと考える人がいますが、では車を運転するときにみんなそんなに楽しんで運転しているのでしょうか。日本の道路は信号が多く混んでいるのでスピードもそんなに出せません。というか高速道路ほどスピードを出すわけにもいかずあまり気持ちよくは走れていないと思います。

というかそんなに車で走るのが好きならほとんどの人がマニュアルシフトのスポーツカーに乗っていると思うのですが、ほとんどの人がオートマで走行性能もそれほど高くない車に乗っていますし、近年売れているのは燃費のいいプリウスや軽自動車だったりします。

昔は例えガソリンをばらまくことような燃費の車でも高出力のエンジンを搭載していれば魅力的でしたが、最近は誰もそんな車に乗りません。

特に若者の車離れが叫ばれている昨今、そもそも車にお金や労力を駆けたくない人は増えてきているように思います。

それでもたまにはドライブに行くという人もいるとは思いますが、逆に言えばそんなときでなければ車を楽しく乗ることはないとも言えます。

毎朝眠い時に通勤ラッシュの中を走る (それか近所への買い物へ行く) のがメインの使い方で、実際の走行距離は1年1万km走るとすると平均1日27kmです。

なので、現在車の運転は単なる作業になっていて、楽しくもないこの時間を有効活用できれば生産性はかなり上がると考えられます。

自動運転中は何をするのか

座席に座っていて運転しないのなら、PCやスマホで何かするように思いますが、自動運転専用の車両が開発されるので、今までとは全く違った移動時間の使い方になるでしょう。

ここら辺はトヨタが少しコンセプトを発表していましたが、バーや飲食店、映画館やゲームセンターなど多様なエンターテインメント空間も実装可能ですし、もちろん完全個室で集中して仕事をする、あるいはベッドになっていて寝れる。ということも考えられます。

ただ、一人で空間を占有したい場合高くなると思うので(おそらく課金制になる)通勤で使う場合はバスに近い相乗りの車両がメインになるのではないでしょうか。

ただ、車内でCMを観たり、時間帯を変えるなどして料金を下げる(おそらく無料)にすることは可能になると思います。自動運転の場合、どれくらいの稼働率なのかが正確に出るので、逆にオーナーからすれば稼働率は100%にできるだけ近い方がいいので、ただでも乗ってもらいたいとは思うはずです。

タクシーとバスの中間の車両がメイン

先ほども述べたように、自動運転の場合課金制のシステムになると考えられます。呼んだら来るのに自分で購入して自宅の駐車場に置いておくメリットがないからです。

それに、自動運転は中央集権的に交通制御ができるというメリットもあります。道路が混んでいるから別のルートを通る、あるいはいつどこでどの時間帯に自動車が集中して必要になってくるか予測して配置させておくなど、自動車資源の最適化が可能です。

現在駐車場にはたくさんの車が止まっています。当たり前のことのように思いますが、駐車場に止まっている車は稼働していません。駐車しておいて自慢するという機能はあるのかもしれませんが、何百万もする資産を一日の大半使わずに遊ばせておくのはよくよく考えるとかなりもったいないことです。自動運転の場合は普段は道路を走り回っていて必要な時に呼ぶということが可能なので、自動車の稼働率がかなり上がります。

1日の走行距離が27kmとすると、平均時速50数kmで走るとして1日の稼働時間は30分程度です。稼働率にするとわずか2.1%です。

稼働率が上がれば必要な台数が変わる可能性はあります。ただし、時間帯による需要の集中、地域差、整備や充電の時間などを考える必要があり、稼働率の比だけで車両を何分の一にできるとは計算できません。

車種が減る

実際先ほど述べたような色々な車が必要かどうかは確かに疑問があります。移動の目的はあくまで移動です。目的地に着きさえすればいいのであって、到着後もしばらくお酒や映画を楽しんだりするとは思えません。トヨタは移動時間を特別なものにして価値を提供していこうと考えているようですが。私は無理があると思います。

なので、実際にメインになってくる車は仕切りのついた小型のバスのようなもので、ちょっと贅沢して旅行へ行くときなどは家族で貸し切って何か飲み物くらいは冷蔵庫に入っている程度の車両。そしてその他は飛行機で言えばファーストクラスのような扱いで富裕層向けになるのではないでしょうか。とはいうものの富裕層は有人ドローンを使うと私は考えていますが。

部品点数が減る

車内の使い方や車両の構成は変わるかもしれませんが、自動運転なら安全装備を外してよいとはいえません。乗員保護や安全基準を満たす必要があり、ここでは不要になる装備を断定しません。

そもそも電気自動車になるとガソリン車に必要なミッションやそのためのオイルなどはなくなりますし、さらにタイヤの中にモーターを入れる(ホイルinモーター)ようにすればタイヤとモーターだけの乗り物になります。ここまでくるとほとんどドローンですね。

ドローンも有人になる

有人ドローンは今も開発中ですが輸送では実験の話も結構聞きます。障害物をあまり考えなくていいので自動運転より実現は簡単かもしれません。富裕層はドローン、他の人は自動運転車両になるかもしれません。

自動車の数はどれくらいになるのか

相乗りや共有が進めば道路・駐車場の使い方も変わり得ますが、その程度をこの文章から数量化することはできません。不動産価格が必ず下がるという根拠にもなりません。

生産台数と部品点数の比をそのまま掛けても、必要な働き手の数にはなりません。設計、ソフトウェア、保守、運行など仕事の構成も変わるためです。産業への影響を考えることと、具体的な失業者数の予測は分ける必要があります。

まとめ:GAFAが手を出し切れない最後のフロンティア

新しい技術が既存の企業に影響を与えるという比喩として小売業を思い浮かべましたが、Amazonがウォルマートを消滅させたという事実はありません。自動運転で自動車産業が必ず消滅するともいえません。

個人的にはトヨタに頑張ってほしいところではありますが、今までのトヨタの戦略が現在完全に裏目に出ています。チェーンバリューを厚くすることで参入障壁を高くしてなおかつ車両価値を上げ他社とも仲良くするトヨタの手法が、1つの技術や社会の変化、1人の天才で一瞬でビジネスが変わる現在の状況に対応するのを困難にしています。トヨタだけではなくほかの自動車会社も相当焦っているのではないでしょうか。

他にも課金制でどう変わるのか、事故を起こしたら誰のせいか、どういう風に変わっていくのか、保険はどうなるのかなど面白い考察がまだまだできるので、別の機会を考えたいと思います。

運転支援・自動運転の範囲は国土交通省:自動運転のレベル分けを参照し、実際には車両の説明書と利用条件を守ってください。

改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学(ソフトカバー)(ロバート キヨサキ (著), 白根 美保子 (翻訳))

かなり有名な本ですね。この本については勝間和代さんの本を読んだ時から知っていたのですが、読む機会がなく棚上げしていました。何やらカルト的なにおいがしたので、おそらく「筋は通っているが細部に矛盾がある」的な内容だと思いずっと避けていたのですが、内容的にはもっともなことが書いてありました。

「お金のためでなくお金に働いてもらう」

この本の中で一番有名な言葉ではないでしょうか。いやな業務を我慢して給料をもらうのではなく、投資をして儲けようというのが簡単な理解だとは思いますが、もう少し深く読むと、「お金の奴隷ではなく主人になろう」つまり「お金をうまく使いこなそう」ということになると思います。

以前にお金持ちになるにはお金の使い方を学ぶべきと書きましたが

この本の中では、負債や浪費にお金を使わずに、資産や投資に回せば不良所得で暮らせる。という風に表現されています。

加えて、ビジネスを持ったり節税をしたりと、こちらも割と一般論でありいつも両学長がYouTubeいわれているとおりですが、

この本では若干決めつけが多いというかお金に対してシビアすぎるというか「お金以外にも大切なものはある」的な反感をすごく招きそうですね。

後半の実践編もあまり再現性のあるようには見えなかったので、そこも反感を買いそうだとは思いました。

結論:お金の勉強をするときに最初に読む本

自己啓発書の元祖みたいな本でもあるし、働きだすとお金が入ってきてどう使っていいのかわからなくなると思うので、新卒の人とかは一度は読んだ方がいいでしょうね。

全裸サバイバル(ディスカバリーチャンネル)からアウトドアを考える

2019年当時の番組の感想です。番組上の挑戦は一般向けの安全なサバイバル手順ではありません。末尾の「何を置いていくか」は暮らし方への問いであり、衣類、水、通信手段、救急用品など必要な安全装備を省くことは勧めません。

最近YouTubeの全裸サバイバルにはまっています。

2019年当時、ディスカバリーチャンネルがYouTubeで公開していた番組を見ていました。現在の配信状況や無料公開の範囲は変わる場合があります。

内容はサバイバルスキルのある初対面の男女がカバンに1つだけのアイテムの持ち込みを許可されて、全裸で21日間サバイバルするというものです。

番組を見て、寝床、水、食料を確保する大切さを感じました。いわゆる「3の法則」を固定の生存期限として使うことはできません。寒さや脱水の危険は環境と体調で変わるため、一定時間は大丈夫だと考えて救助や対応を遅らせないでください。

もちろんスタッフがそばにいて緊急時には駆けつけるのですが、逆にリタイヤするまでは助けてくれません。

見どころの一つは「男女が全裸で」という部分でしょう。裸で恥ずかしくないかとか、異性として意識するかなどの質問に答えています。男性の方は所謂マッチョがたまにいて格好つけようとして失敗したり、意識しすぎる人が多いようですが、女性は特に気にしている人はいないようでした。女性の方は感情的でわがままな人がたまにいて(私の主観ですが)失敗しているようです。

ただ、生きるか死ぬかの危険な状態を見ていると、色々考えさせられます。

生物が「個」で生きることは不可能

できるだけ原始、自然に近い状態になるための「全裸」なのでしょうが、彼らは何も持たないわけではありません。その体は親にもらったものであるし、知識はインターネットや書籍から得たのかもしれません。原始時代にもちろんネット環境も本もありません。何も持たずに自然の中に入るというのはそもそも不可能なのです。

彼らがどんなに自分を追い込もうとも所詮はゲームに過ぎません。仮にスタッフもおらず本当の命懸けだとしても、並々ならぬ決意でジャングルの中に入ったとしても、入ることを選んだのもジャングルを選んだのも本人の意思です。所詮現代人の道楽であって、衣食住に困らない環境からあえて厳しい自然に入るなど、原始人から見たらさぞ滑稽に見えることでしょう。

環境や歴史の積み重ね、周りの仲間、それらすべて合わさって生物が個として生きていけるのです。電線や発電所がなければ我々が家でTVも観れないように、ワニも砂漠の真ん中に連れてこられても水辺がなければ死んでしまいます。ワニやほかの生物も自然の一部であると同時に自然に生かされているにすぎません。

サバイバルの意味とは

ではサバイバルは無意味なのでしょうか、何故私はこの番組を面白いと思って観てしまうのでしょうか。

それは「人間の小ささ」を感じられるからだと思います。

体毛も無く、皮膚も弱い、体力もなく細菌に対する耐性も無いような動物がいきなり自然の中に入ってどこまで受け入れられるのかを見たいからだと思います。そうすることで「生きる」ということが何なのかを感じたいのだと思います。

私自身河原で焚火をして肉を焼いて食べたりしますが、帰り道で泣いてしまったことがあります。おそらく人間の社会システムから離れてより大きなシステムの中に入ったような気がしたからだと思います。お金がなくても、仕事をしなくても本当の意味で生きていけるような気がしたのではないでしょうか。

アウトドアを有意義に過ごす方法

なので、これはキャンプでもバーベキューでも同じだと思うのですが、意識すべきことは「何を持っていくか」ではなく「何を置いていくのか」 ではないでしょうか 。

家や店焼けばいいものをわざわざ炭を焚いて外で食べるのは、そして食べておいしいのは普段感じない調理過程を体感したいのではないでしょうか。

自分で一生懸命作った料理がおいしく感じられるように火を起こして炭に火をつけ直接焼くことで、本当の意味での命をいただくということに一歩近づけるからではないでしょうか。簡単に言うと自然を感じるということですが、それは同時に生きるということ、自分とは何かを感じるためでもあると思うのです。

学生でもできた! 逆転不動産投資術 低所得・保証人無しで融資を受けて専業大家(石渡浩)

2019年当時の読書感想です。融資を受けたり物件を運用したりした実績の紹介ではありません。「あと98冊」も当時の読書メモです。

前回読んだ本( 最速で億を稼ぐ!不動産投資[成功の原理原則](木下たかゆき) )と違って1棟づつ処理していくわけではなく、1棟買ったら次の融資を付けてもらってすぐまた次の物件を買うというのを繰り返すというやり方でした。

そんなことが可能なのかと思いましたが、1度買った物件が担保のような形になって次の融資を受けやすくするようです。やはり、不動産投資は事業に近いようですね。

具体的に言うと、割安の物件持っていたり、アパート経営がうまくいってキャッシュフローがちゃんと出ていたりすると、銀行が安心してお金を貸してくれるようですね。

銀行によって物件の評価額が違ったりもするし、自分に対してどういう評価をされるのかも違ってくるのでいろんな銀行を回るといいようですね。銀行にもいろいろと特色がある。同じ銀行でも中の人が変わると評価が変わったりもするし、別の銀行で融資がついて成功するとまた見方も変わったりもするようです。

ただ1棟目で失敗するとそのあと融資がつかなくてそこでストップしてしまうようなので、一度安い物件を買って実績を作ってからのほうが融資は受けやすいようです。

複数の物件を買うことによる分散という発想が印象に残りました。ただし、借入を増やせば返済負担も増え、空室、修繕、金利や売却のリスクは残ります。物件数が増えるだけで、総合的なリスクが小さくなるとはいえません。

やはり内容的にはまだ難しいですね。もう少しほかの本など読んで読み慣れてきたらまた再度読んでみたいと思います。

あと98冊

本の事例が誰にでも再現できるわけではなく、融資の可否は金融機関の審査によります。本記事は投資や借入を勧めるものではありません。参考:金融庁:資産形成の基本

最速で億を稼ぐ!不動産投資[成功の原理原則](木下たかゆき)

この本を読んだ感想

不動産投資の具体的な手順をすぐに実行するための本というより、著者が重視する考え方と、物件取得から運用・売却までをどう捉えるかを知るための一冊だと受け取りました。初心者の私には難しく感じる部分もありましたが、「何を学び、何を自分で確かめるべきか」を考えるきっかけにはなりました。

書誌情報は、木下たかゆき著、ぱる出版、2016年刊、ISBN 978-4-8272-1020-0です。タイトルは強い言葉ですが、本に書かれた主張と、読者自身の資金・知識・物件条件は切り分けて考える必要があると感じます。

印象に残った不動産投資の考え方

私が本から受け取った中心的な考え方は、安く買い、必要に応じてリフォームし、入居者を確保して運用し、条件が整えば売却も視野に入れる、という流れです。原理原則は「安く買ってリフォームして満室にし、高く売る」に尽きるようです。

ただし、この流れを知ることと、実際にできることは別です。物件価格、修繕の範囲と費用、賃貸需要、融資条件、売却時の市場環境は物件ごとに異なります。本の考え方をそのまま当てはめるのではなく、個別の前提を確認して初めて検討の材料になると思います。

2019年当時の読書メモでは、前半は精神論的な部分が多く、3分の1ほどは自己啓発書的な感じだと残していました。行動を促す言葉は、これから学ぼうとする人の背中を押す面がある一方で、私はその言葉だけでは判断材料として足りないと感じました。目標を持つことと、数字や契約条件を確認することは、どちらか一方では不十分です。

初心者の私には難しかった点

少しは不動産投資の知識がないと理解できない本なのかなと思いました。融資、収支、物件の状態、賃貸運営などに関する言葉は、前提知識がなければ読み進めにくい部分があります。

2019年当時の読書メモには、「あと99冊ですが、理解できない言葉もいっぱいあったので、もう少し知識を深めてから再度読もうと思います」と残していました。この感想は、初心者が一冊だけで結論を急がず、分からない言葉を調べ、複数の資料を照らし合わせる必要があるという自分への注意でもありました。

「100冊読めば成功に近づく」をどう受け止めたか

2019年当時の私は、本から「不動産投資のノウハウはすでに出尽くしており、本を100冊読んで知識を深めて行動を起こせば、成功に近づける」という趣旨を受け取り、読書メモに残していました。これは私の受け取り方であり、成功確率を示す客観的な事実ではありません。

読書は判断の土台になりますが、成功を保証するものではありません。書籍ごとの前提や著者の経験、出版時点の市況は異なります。収益や成功の見込みを数で断定せず、読んだ内容を自分の条件に当てはめる前に、根拠と限界を確かめる姿勢が必要です。

本を読むだけでは補えないリスク

不動産賃貸は、物件を所有して終わりではなく、入居者募集、維持管理、修繕、資金繰り、売却まで続く事業です。空室による家賃収入の変動、修繕費や維持管理費の増加、金利や融資条件の変化、災害・事故、希望する時期や価格で売却できない流動性、税金や法令などを確認する必要があります。

金融庁は、投資用不動産の取得について、賃貸事業の経営であることを認識し、長期的な事業・収支計画の妥当性とリスクをよく検討して判断することが重要だとしています。一般的なリスクの説明は個別の助言ではありません。実際の検討では、物件、地域、借入条件、契約内容に応じて、必要に応じて専門家や公的な相談窓口に確認してください。

まとめ

本書は、前向きに行動することと、不動産投資の原理原則を意識することを強く伝える本だと、2019年当時の私は感じました。ただ、理解できない言葉も多く、知識を深めてから再読したい本でもありました。強い言葉に引っ張られず、書籍から得た視点を、自分で確認すべき事項を洗い出すための出発点として使いたいです。

この記事は2019年当時の読書感想を整理したものであり、投資、融資、税務、法務に関する助言ではありません。不動産投資には損失が生じる可能性があり、購入、借入、売却その他の判断は、最新の一次情報と個別の契約条件を確認したうえで、ご自身の責任で行ってください。

参考資料

性犯罪者の頭の中(鈴木伸元)

2019年当時の読書感想です。加害者への理解は被害の正当化を意味しません。以下の処遇に関する意見は当時の私の問題提起であり、現在の法制度の説明や、医療行為の推奨ではありません。

加害者の側の声や体験、分析に耳を傾けているところが特徴かと思います。今まで読んだ本は被害者目線、心のケアが中心だったので、原因究明や再発防止に役に立つ本だと思います。

加害者側に目を向けた読書の感想

2019年当時、この本を読み、衝動という一言だけでは加害行動を説明できないのだと受け取りました。ここでの感想を、すべての加害者に共通する経過や特徴とみなすことはできません。

孤立や生活環境に目を向けるという読み方もしましたが、それを犯罪の単一の原因としたり、真面目な人や孤立した人を危険視したりする意図はありません。

最初に読んだときは加害者に同情的に書かれているのかと思いました。この記事では学歴別の統計を原資料で確認できていないため、学歴と犯罪の関係は断定しません。

解決策

動機は多様なので、単純な解決策はないように思います。治療や監視の効果、外国の制度については、この読書感想だけを根拠に有効性や妥当性を判断できません。

再犯防止をどう考えるかは重要ですが、再犯率は対象や集計の条件を示さずに高い・低いと決めつけるべきではありません。

というか、他の犯罪もそうなのですが、我々が犯罪者や刑務所に何を求めているのかをはっきりしたほうがいいと思います。つまり、悪いことしたやつをやっつけたいのか、社会復帰させたいのかです。

若くても数年無職の期間があっただけで面接で不利になるのに、長期間無業で、犯罪歴のある人物を受け入れてくれる場所は今の日本にあるのでしょうか。

仕事が見つかることと、社会の中で居場所を得られることは同じではないと思います。再犯の理由を一つに決めつけず、刑務所内の更生だけでなく、出所後に受け入れる社会のあり方も考えたいと感じました。

結論:再犯しそうなら出所させなくてよい

私がこの読書を通して考えたのは、逮捕や処罰だけではなく、その後の社会復帰まで目を向ける必要があるということです。

しかし、性犯罪者や凶悪犯罪者など、危険で再犯の可能性のある人物を更生した確信もないまま出所させる必要があるのでしょうか。本人でさえ出ても再犯しそうだとか、行くところがないと思っているのなら、少なくとも完全に更生し、社会復帰のめどが立つまでは人権を制限し、訓練と教育を与えるべきだと考えます。