武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50 山口 周

他の哲学関係の解説書と違うのは、単純に時系列的に並べたり、淡々と解説していったりするものではなく、どの部分が現代にどう役に立つのかをかなり絞り込んで解説していることだと思います。

かといって単純に哲学者の答えだけを持ってきてこういうものだとか、有名どころを解説するようなものではなく、思考のプロセスを開設することで、どう考えればよいのかを教えてくれる、本当の意味で”役に立つ”哲学書であり、ビジネス書になっています。所謂、魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えてくれる本ですね。

それに、この本の優れているところは、単純にビジネスや、自分が生きる上でこう考えれば役に立つというビジネス書というだけにとどまらず、きちんと現代社会に対する批評にもなっているという点です。つまり、自分の生き方や考え方が、日々の業務だけでなく、仕事や組織、社会の在り方が、ミクロやマクロの視点ですべてつながっているという本になっています。

哲学というと実生活とかけ離れた話をするか、もしくは短期的にすぐに役に立つ話に落とし込んで終わらせようという本はありますが、ここまで広い深い領域をカバーできるものかと思い驚きました。

なので、多岐にわたる思想の説明にもかかわらず、内容は一回しているように思いました。

そして、自分の思考のバックグラウンドにやはり哲学的知識が関係しているというのを知りました。自分の中にもすっと入ってきた。

以下、メモ

  • ロゴス、エトス、パトス(アリストテレス)→倫理的に情熱をもって論理を扱うものはかっこいい。
  • 予定説→ギャンブルだから働く。
  • ロック、経験論、タブララサ→白紙だから努力、教育に意味があり、0から頑張れるし、AIが可能。
  • ルサンチマン(ニーチェ)→酸っぱい葡萄、価値観の転倒を望む、同じ価値観の奴隷。単なる仕返し。
  • ペルソナ(ユング)→さいころポートフォリオ、現在さいころの数が増えて複雑になっている。逃げる必要がある。
  • 自由からの逃走(エーリッヒ・フロム)→ヒトラーの出現、豊かさとルールにより縛られて逃げられない代わりにばかになる。
  • 報酬、スキナーボックス(パラス・スキナー)→たまに餌の出るボタンほどネズミはよく推す。絶対でなくても、必ず出てもダメ。
  • アンガージュマン(サルトル)→エンゲージメント、いやいやではなくやりたいことをやる(引き受ける)そうしないと自由からの逃走になる
  • 悪の陳腐さ(ハンナ・アーレント)→「悪とはシステムを無批判に受け入れた凡人によってなされる」、システムの最適化と変更が必要。
  • 認知的不協和(レオン・フェスティンガー) →合理的に行動するのではなく、行動を合理化するもの。認知的不協和を解消するために
  • フロー(ミハイ・チクセントミハイ)→ゾーンに入る
  • 予告された報酬(エドワード・デシ)→予告された報酬が内発的動機付けを低下させ、イノベーションを起こさせない。セキュアベースから何度でも挑戦すべし。
  • 君主論(マキャベリ)→より良い統治のためなら不道徳な行いも許される。
  • 悪魔の代弁者(J・S・ミル)→集団の意思決定能力は同質性とトレードオフ
  • フェルディナン ド ・テンニース→ゲマインシャフト(地縁、血縁)からゲゼルンシャフトへ(機能、役割)と変化していく。ソーシャルメディアと二枚目の名刺が次の共同体。
  • 支配の正当性(マックス・ウェーバ)→歴史的正当性、カリスマ、合法性。
  • マタイ効果→4から6月まれのスポーツ選手が多い。
  • ジョン・ナッシュ(ナッシュ均衡)→繰り返し囚人のジレンマでは基本はいいやつで、裏切り者とは徹底的に戦うやつが強い。
  • ヘールト・ホフステード(権力格差)→副操縦士が操縦かんを握っているときの方が事故が少ない。
  • 反脆弱性(ナシーム・ニコラス・タレブ)→フェイルセーフ
  • マルクス→システムへの依存が疎外を産む。
  • ホッブズ→巨大権力に支えられた秩序の方がまだまし。
  • ルソー(一般意思)→事故った潜水艦の発見は多数決の方が正確だった。市場の計算力と同じ。一般意思が今後実現する。
  • 差異的消費 (ジャン・ボードリヤール )
  • 公正世界仮説 (メルビン・ラーナー)→努力は必ず報われる。失敗したら世の中が悪いという幻想を産む。

全裸サバイバル(ディスカバリーチャンネル)からアウトドアを考える

最近YouTubeの全裸サバイバルにはまっています。

ディスカバリーチャンネルが無料で公開しているものなので、しばらくはただで見れるでしょう。

内容はサバイバルスキルのある初対面の男女がカバンに1つだけのアイテムの持ち込みを許可されて、全裸で21日間サバイバルするというものです。

「3時間体温を維持できないと死ぬ」、「3日水が飲めないと死ぬ」、「3週間食事をしないと死ぬ」の3つの原則を合わせて3の法則とい言いますが、つまりスキル、知識、決断力、行動力を駆使して、寝床、水、食料を確保しなければ生き残ることはできないということです。

もちろんスタッフがそばにいて緊急時には駆けつけるのですが、逆にリタイヤするまでは助けてくれません。

見どころの一つは「男女が全裸で」という部分でしょう。裸で恥ずかしくないかとか、異性として意識するかなどの質問に答えています。男性の方は所謂マッチョがたまにいて格好つけようとして失敗したり、意識しすぎる人が多いようですが、女性は特に気にしている人はいないようでした。女性の方は感情的でわがままな人がたまにいて(私の主観ですが)失敗しているようです。

ただ、生きるか死ぬかの危険な状態を見ていると、色々考えさせられます。

生物が「個」で生きることは不可能

できるだけ原始、自然に近い状態になるための「全裸」なのでしょうが、彼らは何も持たないわけではありません。その体は親にもらったものであるし、知識はインターネットや書籍から得たのかもしれません。原始時代にもちろんネット環境も本もありません。何も持たずに自然の中に入るというのはそもそも不可能なのです。

彼らがどんなに自分を追い込もうとも所詮はゲームに過ぎません。仮にスタッフもおらず本当の命懸けだとしても、並々ならぬ決意でジャングルの中に入ったとしても、入ることを選んだのもジャングルを選んだのも本人の意思です。所詮現代人の道楽であって、衣食住に困らない環境からあえて厳しい自然に入るなど、原始人から見たらさぞ滑稽に見えることでしょう。

環境や歴史の積み重ね、周りの仲間、それらすべて合わさって生物が個として生きていけるのです。電線や発電所がなければ我々が家でTVも観れないように、ワニも砂漠の真ん中に連れてこられても水辺がなければ死んでしまいます。ワニやほかの生物も自然の一部であると同時に自然に生かされているにすぎません。

サバイバルの意味とは

ではサバイバルは無意味なのでしょうか、何故私はこの番組を面白いと思って観てしまうのでしょうか。

それは「人間の小ささ」を感じられるからだと思います。

体毛も無く、皮膚も弱い、体力もなく細菌に対する耐性も無いような動物がいきなり自然の中に入ってどこまで受け入れられるのかを見たいからだと思います。そうすることで「生きる」ということが何なのかを感じたいのだと思います。

私自身河原で焚火をして肉を焼いて食べたりしますが、帰り道で泣いてしまったことがあります。おそらく人間の社会システムから離れてより大きなシステムの中に入ったような気がしたからだと思います。お金がなくても、仕事をしなくても本当の意味で生きていけるような気がしたのではないでしょうか。

アウトドアを有意義に過ごす方法

なので、これはキャンプでもバーベキューでも同じだと思うのですが、意識すべきことは「何を持っていくか」ではなく「何を置いていくのか」 ではないでしょうか 。

家や店焼けばいいものをわざわざ炭を焚いて外で食べるのは、そして食べておいしいのは普段感じない調理過程を体感したいのではないでしょうか。

自分で一生懸命作った料理がおいしく感じられるように火を起こして炭に火をつけ直接焼くことで、本当の意味での命をいただくということに一歩近づけるからではないでしょうか。簡単に言うと自然を感じるということですが、それは同時に生きるということ、自分とは何かを感じるためでもあると思うのです。