全裸サバイバル(ディスカバリーチャンネル)からアウトドアを考える

最近YouTubeの全裸サバイバルにはまっています。

ディスカバリーチャンネルが無料で公開しているものなので、しばらくはただで見れるでしょう。

内容はサバイバルスキルのある初対面の男女がカバンに1つだけのアイテムの持ち込みを許可されて、全裸で21日間サバイバルするというものです。

「3時間体温を維持できないと死ぬ」、「3日水が飲めないと死ぬ」、「3週間食事をしないと死ぬ」の3つの原則を合わせて3の法則とい言いますが、つまりスキル、知識、決断力、行動力を駆使して、寝床、水、食料を確保しなければ生き残ることはできないということです。

もちろんスタッフがそばにいて緊急時には駆けつけるのですが、逆にリタイヤするまでは助けてくれません。

見どころの一つは「男女が全裸で」という部分でしょう。裸で恥ずかしくないかとか、異性として意識するかなどの質問に答えています。男性の方は所謂マッチョがたまにいて格好つけようとして失敗したり、意識しすぎる人が多いようですが、女性は特に気にしている人はいないようでした。女性の方は感情的でわがままな人がたまにいて(私の主観ですが)失敗しているようです。

ただ、生きるか死ぬかの危険な状態を見ていると、色々考えさせられます。

生物が「個」で生きることは不可能

できるだけ原始、自然に近い状態になるための「全裸」なのでしょうが、彼らは何も持たないわけではありません。その体は親にもらったものであるし、知識はインターネットや書籍から得たのかもしれません。原始時代にもちろんネット環境も本もありません。何も持たずに自然の中に入るというのはそもそも不可能なのです。

彼らがどんなに自分を追い込もうとも所詮はゲームに過ぎません。仮にスタッフもおらず本当の命懸けだとしても、並々ならぬ決意でジャングルの中に入ったとしても、入ることを選んだのもジャングルを選んだのも本人の意思です。所詮現代人の道楽であって、衣食住に困らない環境からあえて厳しい自然に入るなど、原始人から見たらさぞ滑稽に見えることでしょう。

環境や歴史の積み重ね、周りの仲間、それらすべて合わさって生物が個として生きていけるのです。電線や発電所がなければ我々が家でTVも観れないように、ワニも砂漠の真ん中に連れてこられても水辺がなければ死んでしまいます。ワニやほかの生物も自然の一部であると同時に自然に生かされているにすぎません。

サバイバルの意味とは

ではサバイバルは無意味なのでしょうか、何故私はこの番組を面白いと思って観てしまうのでしょうか。

それは「人間の小ささ」を感じられるからだと思います。

体毛も無く、皮膚も弱い、体力もなく細菌に対する耐性も無いような動物がいきなり自然の中に入ってどこまで受け入れられるのかを見たいからだと思います。そうすることで「生きる」ということが何なのかを感じたいのだと思います。

私自身河原で焚火をして肉を焼いて食べたりしますが、帰り道で泣いてしまったことがあります。おそらく人間の社会システムから離れてより大きなシステムの中に入ったような気がしたからだと思います。お金がなくても、仕事をしなくても本当の意味で生きていけるような気がしたのではないでしょうか。

アウトドアを有意義に過ごす方法

なので、これはキャンプでもバーベキューでも同じだと思うのですが、意識すべきことは「何を持っていくか」ではなく「何を置いていくのか」 ではないでしょうか 。

家や店焼けばいいものをわざわざ炭を焚いて外で食べるのは、そして食べておいしいのは普段感じない調理過程を体感したいのではないでしょうか。

自分で一生懸命作った料理がおいしく感じられるように火を起こして炭に火をつけ直接焼くことで、本当の意味での命をいただくということに一歩近づけるからではないでしょうか。簡単に言うと自然を感じるということですが、それは同時に生きるということ、自分とは何かを感じるためでもあると思うのです。