自動運転の最終形態(車は誰のものか)

前回、自動運転が実現すれば車をスマホで呼ぶ課金制になると書きました。

ですがそこに至るまでには紆余曲折あるでしょう。

自動運転は安全か

まず自動運転の場合の安全性ですが、圧倒的に事故を起こさなくなるでしょう。なぜならプログラムは人間と違いミスをしません。毎回同じように走ります。人間ならぎりぎりよけられるような場合には反応が遅れるかもしれませんが、自動運転車の方から突っ込んでいくことはまずありません。アクセルとブレーキを踏み間違えることもありませんし、酔っ払い運転もしません。二日酔いも夜更かしもしませんし、よそ見や仕事の失敗で落ち込んだり、恋人と別れてショックを受けることもないでしょう。

基本的に人間でも普通に走っていれば事故は起こしません。事故が起きるのは何かイレギュラーがあった場合に限られますが、コンピュータにはそのイレギュラーが基本的にないのです。

もちろん0ではありませんが、何らかの例外が起こった場合はプログラムを修正し次回に生かすことで適切なフィードバックループが回ります。

もし人間の場合であれば何らかのペナルティ(罰金、免停)や教育(講習会)が行われますが、あまり役には立たないうえにまだ事故を起こしてない人には効果があまりありません。自動運転の場合は全ての車両で同時にプログラムの更新が行われ、同じ事故は起こさなくなるでしょう。

では、仮に自動運転車と普通の自動車が同時に走っていたらどのような社会状況になるでしょうか。

普通の自動車は嫌われる

恐らく事故を起こす車はほとんど普通の自動車です。TVのコメンテータは事故が起こる度に「自動運転車に乗らないからこんな事故になる」というでしょう。普通の車に乗っている人はひどく非難される時代になります。

今までは自宅に高級車が置いてあるのが自慢だったのが、周りから白い目で見られるようになるでしょう。恐らく飲酒運転に近い扱いを受けるのではないでしょうか。

かつて酒を飲んで車を運転するのはそれほど悪いことではありませんでした。今では考えられませんが、『刑事貴族』という90年代のドラマで刑事がクラブで酒を飲んでいるときに事件が発生し、急いで現場に車で急行という場面が普通にありました。

TVで飲酒運転による事故があってかなり騒がれてから飲酒運転が厳罰化し、だいぶ状況が変わりましたが、飲酒運転を厳罰化したからといって自動車事故による死者数が減ったかどうかはわかりません。それよりも免許証の取得を厳しくした方がよほど有効的だったと思うのですが。

というわけで、自動運転が普及し出したら普通の自動車の肩身がかなり狭くなるでしょうし、保険料も高くなるでしょう。というより自動運転の場合自分で所有していないので保険料はオーナーが払うことになるでしょう。

自動運転車のオーナーとは

これは自動運転車だけに限ったことではありませんが、「所有権の分割化」が今度進んでいくことになるでしょう。

自動運転に限って話をすると、一番イメージしやすいのがタクシー会社がいらなくなるということです。運転手もおらず、充電も自動、メンテナンスも自動的に車が修理工場に入って行き、内部のプログラムも自社内では行いません。すべてが外注になります。社員が何か責任を持って行うことは何もありません。

つまり、必要なのはお金だけになります。ということは投資家がオーナーとして保険に入りリスクを負担する、不動産に近い形になり、オーナーが利益を直接吸い上げられるようになるのです。

私が面白いと思うのはここでもやはり「犯人捜しの問題」は発生するだろうと考えられることです。自動運転といえど事故を起こすことは必ずあります。しかし低いコストと人間より少ない事故率により、やめる選択肢はありませんし必要もありません。そういった時自動運転による事故を社会はどう受け入れるのかにすごく興味があります。

結論:自動運転の本質は自動車の社会的費用に社会が耐えられなくなっているということ

かつて経済学者の宇沢弘文先生が「自動車の社会的費用」という本を書かれました。社会的費用とは環境問題や公害など、単なる物の売り買いでの当人同士の損得を超えたところで社会にかかっている迷惑のことですが、かつて公害が社会的に問題になり、自動車事故による死者数も1万人を超えていましたが、それにも関わらず車に乗り続けた現代人が、軽自動車に乗り、あまりスピードを出さず、今度は運転自体がめんどくさいといっています。

宇沢弘文先生は「自動車は危ないからみんなで乗るのをやめよう」と言っていましたが、当時誰も聞く耳を持ちませんでした。しかし、現在それが「面倒くさい」「お金もったいない」といった理由で実現しようとしているように思います。自動運転にして課金制にし、必要な費用だけ最低限支払うようにすれば、かなり自動車にかかるコストは低くなりますが、果たしてどちらの時代が人にとって幸せだったのでしょうか。

保険会社はなぜ儲かるのか

最近保険の話をしていて他の人とかみ合わないことがあるのですが、どうやら保険とは何かをわかっていないようなので解説したいと思います。

保険の始まり

保険の始まりは、船の航海がまだ安全でなかったころ、船主と荷主で負担を分け合ところから始まりましたが、14世紀ごろに航海が失敗したときには積み荷の代金を金融業者に払ってもらい、成功したときには金融業者に手数料を払うという仕組みが生まれました。

つまり、保険はそもそもギャンブルだということになります。

たまに保険の話をしていて、「掛け捨ての保険は還ってこないのでもったいない」という話をされますが、それは「競馬で外れたので払った金は返してくれ」というのと同じだということですね。

保険会社の儲けのしくみ

なので、保険会社がもうけを出すためには、生命保険の場合はできるだけ死なず、自動車保険ならできるだけ事故にあわないでいてくれた方がよいわけです。

保険会社はどれくらいの確率で支払いが発生するのかもかなり細かく計算しています。未来が予測できないから我々は不安になり、安心するために保険料を払うのですが、ここが結構騙されそうになるポイントですね。

つまり、保険会社はたいして危なくないのに「危ないですよ」と言って保険に入らせることもできるということですね。

例えば先日社内で若い(24歳)社員が保険のセールスの方に「2人に一人ががんになる時代ですよ」と言われ、びっくりしてすぐに保険に入ると言っていました。私は「うわ、出たよ。」と思って聞いていました。二人に一人というのは生涯でガンになる確率であって24歳でガンにかかる確率は万に一つです。

もちろん単に当たった外れただけではありません。セールスや事務員の給料、保険の開発費やTVで流れるCMなどの広告費も費用です。

そして被保険者から集めたお金はただ貯金しているわけではなく、しっかりと株などを買って運用しなければなりません。大企業などをWikipediaで検索すると保険会社が筆頭株主になっていることがよくあるのは、銀行に匹敵するほどの莫大な資金が集められるということであり、それだけもうけが大きいということが予測できます。

実際の保険料はいくらなのか

保険会社はあくまで営利企業なのでこのように我々がお金をプールしておいて困ったときにもらうという仕組み以外に自分たちの儲けのためにいろいろな仕組みがあります。

しかし、実際に保険会社が自社の儲けとしてどの程度手数料を取っているのかは公開されていません(ライフネット生命以外)。よほど保険料の内訳を知られたくないのでしょう。

結論:掛け捨ての生命保険と自動車保険以外は不要

もちろん会社が儲けようとすることは悪いことではありません。しかしお客さんも同時に得をしないと会社に存在価値などありませんし、その商売は悪いことになります。

なので我々にできることは、できるだけ勉強して金融リテラシーを身に着け変な保険に入らないということですが・・・

私の考えですが、今日本で保険を売るのは非常に簡単になっています。先ほど述べたようにガンを恐れてがん保険に入る若者や国があてにならないから民間の保険に入るという人や、病気になったときいくらかかるのかも分からずとりあえず医療保険に入る人など、かなり楽な商売になっているのでしょう。

今後消費者が賢くなって保険会社が追い詰められていい商品を販売するようになるとは思えません。むしろ「不安だから助けてほしい」「面倒くさいからとりあえず入る」が増えてぼったくり商品が増えるでしょう。

しかし、一方でP2P型の保険など、保険会社が介在しなくても済むような保険がブロックチェーンなどのIT技術の進歩で開発されています。恐らく一方的にぼったくり保険が増えるのではなく、二極化するのではないでしょうか。

そんな時、いい保険に入れるようにやはり金融リテラシーは必要ということですが、現在はとりあえず掛け捨ての生命保険と自動車保険以外は不要ということで十分だと思います。

改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学(ソフトカバー)(ロバート キヨサキ (著), 白根 美保子 (翻訳))

かなり有名な本ですね。この本については勝間和代さんの本を読んだ時から知っていたのですが、読む機会がなく棚上げしていました。何やらカルト的なにおいがしたので、おそらく「筋は通っているが細部に矛盾がある」的な内容だと思いずっと避けていたのですが、内容的にはもっともなことが書いてありました。

「お金のためでなくお金に働いてもらう」

この本の中で一番有名な言葉ではないでしょうか。いやな業務を我慢して給料をもらうのではなく、投資をして儲けようというのが簡単な理解だとは思いますが、もう少し深く読むと、「お金の奴隷ではなく主人になろう」つまり「お金をうまく使いこなそう」ということになると思います。

以前にお金持ちになるにはお金の使い方を学ぶべきと書きましたが

この本の中では、負債や浪費にお金を使わずに、資産や投資に回せば不良所得で暮らせる。という風に表現されています。

加えて、ビジネスを持ったり節税をしたりと、こちらも割と一般論でありいつも両学長がYouTubeいわれているとおりですが、

この本では若干決めつけが多いというかお金に対してシビアすぎるというか「お金以外にも大切なものはある」的な反感をすごく招きそうですね。

後半の実践編もあまり再現性のあるようには見えなかったので、そこも反感を買いそうだとは思いました。

結論:お金の勉強をするときに最初に読む本

自己啓発書の元祖みたいな本でもあるし、働きだすとお金が入ってきてどう使っていいのかわからなくなると思うので、新卒の人とかは一度は読んだ方がいいでしょうね。

学生でもできた! 逆転不動産投資術 低所得・保証人無しで融資を受けて専業大家(石渡浩)

前回読んだ本( 最速で億を稼ぐ!不動産投資[成功の原理原則](木下たかゆき) )と違って1棟づつ処理していくわけではなく、1棟買ったら次の融資を付けてもらってすぐまた次の物件を買うというのを繰り返すというやり方でした。

そんなことが可能なのかと思いましたが、1度買った物件が担保のような形になって次の融資を受けやすくするようです。やはり、不動産投資は事業に近いようですね。

具体的に言うと、割安の物件持っていたり、アパート経営がうまくいってキャッシュフローがちゃんと出ていたりすると、銀行が安心してお金を貸してくれるようですね。

銀行によって物件の評価額が違ったりもするし、自分に対してどういう評価をされるのかも違ってくるのでいろんな銀行を回るといいようですね。銀行にもいろいろと特色がある。同じ銀行でも中の人が変わると評価が変わったりもするし、別の銀行で融資がついて成功するとまた見方も変わったりもするようです。

ただ1棟目で失敗するとそのあと融資がつかなくてそこでストップしてしまうようなので、一度安い物件を買って実績を作ってからのほうが融資は受けやすいようです。

複数の物件を買うことによって分散投資の効果が出てくるというのも面白かったです。リスクをとっているようでリスクを減らしているんですね。

やはり内容的にはまだ難しいですね。もう少しほかの本など読んで読み慣れてきたらまた再度読んでみたいと思います。

あと98冊

最速で億を稼ぐ!不動産投資[成功の原理原則](木下たかゆき)

前半は精神論的な部分が多いです。1/3は自己啓発書的な感じでした。そして、少しは不動産投資の知識がないと理解できない本なのかなと思いました。

原理原則は「安く買ってリフォームして満室にし、高く売る」に尽きるようです。不動産投資のノウハウはすでに出尽くしているそうなので、本を100冊読んで知識を深めて行動を起こせばかなり高い確率で成功するそうです。

あと99冊ですが、理解できない言葉もいっぱいあったので、もう少し知識を深めてから再度読もうと思います。

脱税の世界史(大村大二郎)

税金がわかると現代の裏側が見えてくる

国が存在する以上は税金があるので、何らかの形で徴収せざるを得ないわけですが、当然取られる側の人は嫌がります。

この本を読むと、取る側ととられる側の鼬ごっこの歴史が見えてきます。歴史の表と裏、そして現代の裏側が見えるので、必然的に現在の表面的な事実、出来事も深く知ることができます。

そして、これからどうなるかもおぼろげながら見えてくる気がします。

ピケティの言う資産課税はすでにあった

ふつう税金というものは所得があったり、何か目的をもって取られるもの(車が走るために道路を整備するから自動車税を取る)とかだと思うのですが、ただ金持ちだからという理由でお金をとるのはかなり難しいように思います。しかし、古代ローマはやってたみたいですね。

ただ、基本的に税金とは持ってる人から持ってない人にお金を動かすためにあるので、所得に比例して取るか、資産に比例して取るかは根本的に違いがないように思います。

現代は持ってる人が指数関数的に富を増大させて格差が広がりすぎているので、所得より資産に税金をかけたほうが良いというのがピケティさんの考えだと思いますが、現代ならよその国に移すのも簡単だと思うので、世界同時にやらないと意味いなですね。

結局お金持ちが自ら進んで税金を払うような社会システムがないと成立しないように思います。著者によると、国家はたいていお金持ちから税金をとれなくなって貧乏人からとるようになって滅んでいるらしいです。

源泉徴収はヒトラーが始めた

ヒトラーは「我が闘争」という自伝が売れすぎたせいで、税金を払えなくなってかなり苦労したそうです。なので、税金のとり方はよくわかっていたようですね。

年に一度とかでいきなり税金をとると払えない人が出てくるので、分割で、しかもあらかじめ給料から天引きすれば取られるほうもあまり気にしないし、取りっぱぐれないということです。

私は初めて源泉徴収されたとき、アルバイトで一時的な所得だったので、確定申告すれば返してもらえると教わったのですが、勝手に取っておいて「返してほしくば取りに来い」とはとんでもない制度だと思いました。

元々サラリーマンに税金はなかった

大戦中に日本政府がヒトラーに倣って一時的な措置としてサラリーマンから税金をとるようになっただけで、もともと法人からお金をとっているのに労働者からとったら二重課税になるという考えが以前は主流だったようです。

しかし、初めてみるとなかなかやめられず、現在に至るようです。

消費税の2%は結構騒ぐのに、保険料は上がってもあまり気にしていない。つまり上げ放題になっっているということですね。

結論:国家崩壊の一歩手前なのでは・・・

企業にとってどこの国にいるかは特に問題ではないらしく、GAFAなど税金の安い国に逃れてあまり払っていないのは有名な話です。

それは国もわかっているのですが、高い税金はかけると海外に逃げられるので法人税はどんどん下がっています。

この本に書かれた通りならもうすぐ国家崩壊しそうですが、今までの歴史と違うところは、グローバル化しているということです。

世界中が法人税を下げているので、日本だけで革命を起こしても法人税は上げられずに、貧乏人は高い税率と、低い公共サービスで苦しむことになりそうです。

逆に言えば努力の方向さえ間違わなければ報われるということかもしれませんが。

とても面白い本だったので何度か読むと思います。

ウォール街のランダム・ウォーカー〈原著第9版〉――株式投資の不滅の真理(バートン・マルキール)

株式投資に関してはすごく有名な本のようです。これから株を始めようという人(自分もですが)は読むべきだと思います。

バブルに関して

バブルに関しての章が面白かったですね。昔.comを社名に付けると株価が上がったという話は聞いたことがありますが、~トロニクスを付けると株価が10倍以上になった時期もあったそうです

先進的で夢のある技術にお金が集まるのはいつの時代も同じなのだと感じました。

最近のAIブームも同じようなものかと思うと勉強になりますね。

チャート分析について

株価の動きを見ているとやはりどうしても何らかの法則があるように思ってしまいますが、それもまやかしのようです。

ランダムに作ったチャートをプロのチャーティストに見せると区別がつかなかったりするようです。

株価が急騰、急落している局面などは、何らかの予測が立ちそうですが、どこまで下がるのか、上がるのかはどれだけ非合理的な投資家がいるかにかかっているので、合理的に予測するのはやはり難しいようです。

結論 :インデックス投資には勝てない

やはりプロが株を運用しても継続的に市場平均に打ち勝つことは難しいようですね。1年単位でみると勝っているという人も、連続しては勝てないようですし、何年もずっと勝ち続けているような人でも偶然勝っている可能性もあるので、来年勝てるとは限らないようです。

それでもウォーレン・バフェットのような人もいるので、一部の天才は可能な勝利のようですが、普通の人がとりあえず余ったお金を何とかしたい場合はインデックスファンドが最適解になるようです。

お金持ちになるには

お金持ちと話していると結構家柄がよかったり、親がお金持ちだったりします。

なので、結論は

「お金持ちになりたかったらお金持ちの家に生まれよう」

になるのですが、例えば、宝くじに当たった人はずっとお金持ちでそのまま子供もずっとお金持ちになるかといえば、どうやら違うようです。

宝くじを当てると不幸になる

億単位の大金を手に入れた場合、堅実に資産運用すれば減るどころか使いきれないほど増えていくように思いますが、現実はそうではないようです。

ある統計では、当選者の44%が5年以内にすべてのお金を使い果たしてしまうそうです。

幾つか使い道はあるとは思いますが、原因はこんなところでしょう。

  1. 贅沢をする(高級車や家などの高級品を買う)
  2. 親せきや友人にあげる
  3. 仕事もやめるし時間もできる

①に関しては真っ先に思いつくでしょう。お金持ち用の遊びは数多くあるし、テレビで見て一度はあこがれていた家や車を現実に購入すれば、一気にお金が減ります。

しかし、高級品などはただ買えばいいというわけではないでしょう。

高級な家を買って家具がボロボロの安物というわけにもいきません。家具はお金持ちの人がお金持ちを招いたとき恥ずかしくないようなものを買う必要があるので、変なものを買うと「こいつ何もわかってない成金じゃん」と思われ馬鹿にされかねません。

実際はお金持ちでない友人に見てもらうことになると思うので、高級な家具を見てもわからないとは思います。せいぜいデカいTVがうらやましいとか言われる位ではないでしょうか。

②についていえば宝くじに当たると急に遠い親戚から連絡が来るとよく言われます。友人についても、いきなり大金をよこせとは言わないかもしれませんが、「あぶく銭なんだから飯をおごるくらい当然」くらいは思うでしょう。

お金持がないころはたかられても「お金がないから」で済んでいたし、お金がないことは周囲もわかっているので、しつこく言わることはなかったと思います。

しかし、「お金持ってるでしょ、ちょっと位いいじゃん」といわれると、言われなれていない人はなかなか断りにくいのではないのでしょうか。

そこで「何でおごらなきゃいけないんだ!」と突っぱねると相手も不機嫌になるでしょうし、もしかしたら「大金を手に入れてあいつは変わった」とか言われかねません。

基本的に「友人の年収の平均が自分の年収」といわれるように、友人も大体同じくらいのお金しかもっていないので、お金持ちの気持ちはわかりません。

仮にそこで友人に奢ったとしたら、それからも奢り続けなければなりません。

そして、奢り続けたとして友人に対する態度は変わらないでしょうか。

「いつもおごってやってる」とか「なんで自分が」とか思ったり、態度が偉そうになったりしないでしょうか。

そしてそんな態度は相手にも伝わります。そして相手も奢ってもらっている手前、あなたの態度が変化しても指摘できないでしょう。

そうしているうちに、本当に「あいつは大金を手に入れて変わった」になるのではないでしょうか。

そして③ですが、ここが結構面白い議論のし所だと思います。

基本的にみんな仕事をつらいと思っています。

それは当たり前で、仕事とは他人のやりたがらないことを代わりにやってお金をもらうことです。それはプロゲーマーでも風俗嬢でも同じです。

なのでお金を手に入れるとおそらく、「金があるのに何でつらい仕事なんか」と思う人もいるでしょう。

しかし、それなりに使命感を持ってやっているからこそ辛いのであって、急に投げ出して自由になったところで、「じゃあ何する」になります。

そうすると、今まで苦労して仕事をしてきた分「仕事をしてもらおう」と思って消費する側に回るのではないでしょうか。

ここら辺はベーシックインカムの議論にもつながってくると思います。

お金の使い方を学ぶべき

要するにお金を持ったことのない人はお金の使い方がわからないということです。

以前ZOZOの前澤さんが「お金は使うと増える」とおっしゃっていましたし、それは本当なのでしょう。しかし「ちゃんと使えば」という条件がいることなのです。

例えキャバクラで何百万使って豪遊したところで「いい勉強になった」以上に得るものがあるとは思えません。

しかし、リスクの低い株式投資をしていれは何十年か先に複利の力で何倍にもなるのは決して夢ではありません。

そもそも宝くじ自体が「愚者の税金」と呼ばれていて、要は「馬鹿だから騙されてももしょうがない」という根拠のもと存在しています。

「お金をもらった罰」としての所得税や「お金を使った罰」としての消費税より、文句を言われずにお金を集められます。

「寄付のつもりで買っている」という人もいるかもしれませんが、それならば国に直接寄付したし、税金を多めに払ったりすればいいのではないでしょうか。

お金持ちの人と話していて思うのは、自分が勉強しなければわからなかったことを最初から知っているんだなぁということです。

人に何かを頼むのがうまく、もらった時にはきちんと感謝をし、いやなことはきちんと断る。お金持ちはケチと言われますが、自分のルールを守って、使いどころ以外では決して使わないということを、親から受け継いでいるのではないでしょうか。

宝くじに当たるのはいきなりヘリコプターで山のてっぺんにいきなり連れてこられるようなものだといいます。体力も技術もない人が、山の上で暮らせるわけもなく、一番下に降りたとしても、2度と頂上に行くことはできないでしょう。

しかし、頂上の景色だけは知っています。2度と登れない山の頂上の景色を一生忘れられずに過ごすのでしょうか。

結論:お金持ちになりたければお金持ちを見て学ぼう

私はまずは「お金は使ったら減る」というところからスタートしています。元々ニートだったのであまり使うことはなかったのですが、収入が安定してきたたり、周りの人に合わせるために少しづつ使う量が増えていきました。

しかし、よく理解せずに買い物をすれば身につかず後で後悔することになります。

バーベルなどは買って1ミリも後悔していませんが、押し入れには使いどころのなかった便利グッズがいっぱい増えました。やはり、両学長がおっしゃっている

貯める→収入を増やす→投資

の順番ですね。言い換えると

お金を使わない→時間を無駄にしない→資産を守る

になるでしょうか。

ペットショップ

愛玩動物の末路

この間ふと疑問に思いました。「ペットショップで売れ残っと動物はどうなるのだろう」

私がなぜ疑問に思ったのかというと、普通の経済動物には看取りの場面が必ずあるからです。

例えば、『百姓貴族』という漫画があって、農家の生活をテーマにしたギャグエッセイ漫画ですが、内容は農家の生活がいかに非常識かをコメディとして描いたもので、その非日常感や、動物や自然との戯れが面白く、私も大好きな漫画なのですが、ギャグのふりをしてかなりまじめな部分も描いており、その一つが動物を殺処分する話です。

家畜は利益を生み出さなくなった時点で処分せねばならず、それは経済動物として生まれた時点でしょうがないことで、かわいそうだからというだけでペットとして飼っていたら農家がつぶれてしまいます。

農家の人ももちろん殺したくはないし、殺処分が問題というのなら、それを消費する社会全体の問題としてとらえねばなりません。

ですので、農家の方もできるだけ生かそうとするし、苦しまずに何とかしようとしたり、別れの瞬間にもやもやした感じになるのが描かれています。

荒川氏はそこに納得出来なかったようで、その経験がヒット作『鋼の錬金術師』に生かされています。主人公の錬金術師の兄弟は幼いころに母親を亡くし、その寂しさから母親の復活という、禁じられている錬金術を行おうとします。しかし、完璧なはずの術が失敗し、代償に自分たちの体を奪われることになります。

これは荒川氏の「命は特別である」という考えに基づいていると考えられます。

私は最終回で命に対する何らかの答えを示すものと考えていましたが、「わかるはずのないもの」というのが答えだったように思いました。

私の思い込みかもしれませんが、農家の方には命に対するリスペクトがあるように思います。家族経営している場合自分の子供に「モノだから壊れたら捨てるだけ」と教えるとも思えませんし、アメリカのように狭い柵の中にぎゅうぎゅう詰めで育てたり、フォアグラのように不健康に育てて太らせる文化も元々ありません。

ではペットショップの場合どうでしょうか。

経済動物の場合殺す場面は必ずあるはずです。けがや病気にもなるし、大きくなった犬猫は需要は低いでしょう。売れないからといって飼い続けたら餌代がかかるだけですし、よそにあげていたら販売価格自体下がってしまいます。

このブログで書いた曲がったきゅうりの話です。

まっすぐなきゅうりを食べるためには曲がったきゅうりを捨てなければいけません。

2013年に動物愛護法が改正されてペットショップは動物を保健所で殺処分できなくなりました。もちろんそれ以前は何の罪にも問われなかったということですが。

しかし、2014年にブリーダーが80匹の犬を河原に遺棄する事件が発生しました。河原に遺棄することで事件が明るみに出ましたが、もし焼却なり、埋葬なりしていた場合誰にも気づかれません。

実際「引取り屋」という職業は存在し、1匹1万円程度で引取り、採光も換気も十分されていない狭い糞だらけのコンテナの中に押し込めて、亡くなれば処分するということを繰り返しています。

しかし、現在の法律では罪に問うことはできません。

欧米ではペットショップ自体を禁止にしている国が多く、ペットショップとは餌や用品を売っている店のことを言うそうです。その中でも1番厳しいのがイギリスで、動物愛護に関する法律は70を超えるそうです。

結論:知らないでは済まされない。

ペットが売れるたびに補充するための動物を生産し、売れ残りや病気の動物を処分します。かわいいと思って買ったペットの後ろに何匹もの犬猫の死体があることを意識しましょう。

ちょっと経済学っぽい話

曲がったきゅうりはなぜ店にないのか

以前TVで食糧問題がテーマの番組をやっていた時、「店にまっすぐなきゅうりしかなのは他を捨てているからで、もったいない」という話をしていました。

確かに一部は加工食品に回しているようですが、同じサイズの野菜を作ることなど不可能なはずなのに店頭には同じサイズしか並んでいないのは不自然な気もします。

「捨てるのもったいない。曲がってても買う。」という人も多いでしょう。

では、我々は店頭にまっすぐなきゅうりと曲がったきゅうりが置いてあった場合どちらを買うのでしょうか。

おそらくほとんどの人がまっすぐなきゅうりを買うでしょう。

牛乳などでも奥のほうから賞味期限が一番長いものを取り出して買う人がいるのに、同じように並んでいるのに曲がっているものを買うのは何か損をしたような気がしませんか?

1円でも安いものを買いたい、損をしたくないといった心理ができるだけよいものを選ぼうとするのかもしれませんね。

なのでもったいないと言っている人の本音は「曲がっているものでも買うよ、ただし安ければね。」ということでしょう。

しかし、売る側の立場からすれば、1個当たりの値段はできるだけ高くして売りたいはず。『国富論』にも書いてありますが、人間が1日に食べられる量には限界があるので、大量生産してもたくさん買ってくれるわけもなく、売れ残ってしまいます。なので、できるだけ単価は上げておきたいのです。

ですが、ヨーロッパの農家の収入は9割が税金だそうです。農業大国のイメージがあるアメリカで6割、日本の場合は2割です。

これを、国に頼らず農家の自助努力とそれを支える消費者に支えられて日本の農家が成り立っているとみるべきなのか、国の基盤をかなり不安定なシステムに負担をかけながら成立しているとみるべきなのかはわかりませんが、今回は別の話。

価値は自分で決められるが価格は他人が決める

経済学はいくつかの単純な原則から始まっています。

  1. 同じものなら少ないものは安い
  2. 腐るほどあったら無料
  3. 情報の完全性

等々ですが、1はリンゴ2個より1個のほうが安いのでわかりやすいですね。2はよく空気でたとえられますが、無いと死ぬけどなくて困ることがないので無料ということですね。3はちょっとややこしいですが、どのお店が一番安いかはみんな知っている。ということです。

キュウリで言うと、1では曲がっていてもデカくてお得と考える人がいたとしても、変なきゅうりということで価格が安くなってしまうので廃棄されてしまう。

人間も一緒で、例えば恋人がかっこ悪い服装でデートに来る場合、自分がその人を本当に好きだとしても、周りの人にばかにされたり低く見られたりしてしまうので関係を考え直さざるを得ないなど。

2では実際はきゅうりは腐るほどあるので、例えば1個だけ残して100個捨てたりすれば、その1個に100個分のコストを乗っけられるので1個しか食べない人にも実質100個分売ることができるということですね。

なので、昔に比べて格段に生産性が上がっているのに昔と同じもののはずのきゅりの値段が高くなっているのは単に数字上のものではなく、「品質」が上がっていると解釈できます。

なので、もしAmazonが大量生産で1個1円のキュウリとかを作ってドローンで無料配達してきゅうり農家をすべてつぶすことも将来的には可能なのかもしれません。

3が一番非現実的に見えるので、経済学の不完全性の話でよく出てきます。普通に考えて日本全国で値段も違って当たり前、実質近所のスーパーしか行けないし、すべての広告に目を通すのも無理な気もします。

しかし、ネット通販のおかげで、最安値を瞬時に判断して購入することができるようになってきています。

さすがにきゅうりは無理じゃないかと思われるかもしれませんが、さっきの話のように、Amazonが現地の土地を買い、野菜工場で自動生産し、主婦がぽちっと押すとドローンがきゅうりをもいで数十分で持ってきてくれるとなると、新鮮なきゅうりが数円で手に入るのに、スーパーへ行く意味がありません。

農家の人はもとより、運んでくれる運転手の人から農協、卸売市場、レジのお姉さんや品出しのおじさんまで一気に失業かもしれませんね。

結論:経済学がわかれば未来を予測できる。

今現在、テクノロジーの発達が資本主義に拍車をかけています。資本主義とはつまり ”お金”主義。お金があれば何でもできると信じることです。もちろん、今現在、永遠の命を望んでもかなわぬ夢ですし、ビル・ゲイツが明日金星に行こうと思ってNASAに電話しても「明日はやめておこう」と言われるでしょう。

しかし、iPS細胞が本格的に実用化すれば、内臓を全て入れ替えて永遠に生きることは可能かもしれませんし、ビル・ゲイツが自分の資産だけでなく、資金調達して事業として金星行きを計画した場合、余生を金星の周回軌道で過ごすことは可能かもしれません。

テクノロジーの発達が、お金でできる領域をどんどん増やしているのです。

しかし、どんなにテクノロジーが発達しても、資本主義というシステムの上で運用されるので、「お金がないと何もできない」という状況にもなりかねませんし、「これからの未来はどうなるんだろう」という不安も付きまとうでしょう。

なので、経済学の一形態である資本主義を理解するにはやはり経済学を勉強しないといけないということですね。