AIで無くなる仕事

2013年オックスフォード大学のマイケル・オズボーン教授の論文によると、10~20年で47%の仕事が機械による自動化で失われると予測しています。

実は海外に受注できる仕事も50%程度あるそうですがこの二つがどれだけかぶっているかは不明です。もしかしたら先進国の人間からはすべての仕事が失われるのかもしれません。

まず、以前このブログで書いたようにAIとは本質的にはプログラムによる自動化のことなのでディープラーニングを使っているかどうかは本質的には関係ないということでした。

人類は有史以前から自分たちの作業を単純化、効率化、仕組み化してきました。火の起こし方や獣の狩り方、食べられる植物の集め方など、大昔は何代にもわたって受け継がれていたのでしょう。

彼らの時間の感覚は非常に遅く、ちょっとした改革を起こすのにも世代を幾つか要したはずです。

それこそ、狩猟採集から農耕へ移行するのにも何万年もかかっているのでしょう。

しかし、工夫が工夫を呼び、効率化がさらなる効率化を呼びました。

ITバブルからケータイの普及、ディープラーニング。これらはここ20年程の出来事です。

スティーブ・ジョブスが生前、数少ないビデオインタビューで「コンピュータによる技術革新の100年が今始まったばかりだ。」と言っていました。

人間の積み上げられるシステムはまだまだ残っているようです。身近にある効率化できる仕事はいくつもあるように思います。

私が最初に思いつくのはコンビニです。

歓迎してもいないのに必ず「いらっしゃいませ」といい、感謝もしていないのに「ありがとうございました」という。実作業はレジ打ちと品出しですが、会計処理は単純なので子供でもできます。品出しは必要な気もしますが、常時店にいる必要はないでしょう。工夫次第では品出しも必要ないように思います。

確かに気持ちよく挨拶されればうれしくなりますし、美男美女がいればそれを目当てに行く人もいるでしょう。

しかし、どんな接客をしようと、コンビニの売り上げが大幅に変わることはありません。結局費用対効果を考えて近くの店か安い店に行くでしょう。

コンビニの自動化の議論で必ず「接客がいないと寂しい」という話になりますが、そんな人達も結局は安い店に行くのではないでしょうか。

自動化した店のほうが店員を雇わなくていい分、価格は抑えられるからです。例えそれで自分の子供の雇用を奪うことになっても。

寂しいという人は店内のスペースで客同士コミュニケーションをとればいいでしょう。

もっと言うと店員が必死に接客をしようと、店員に何か有用なスキルが身につくわけでもありません。

人生に無駄はありませんが、それを評価してくれるのは他人です。

コンビニ店員のキャリアを高く評価する企業や顧客がいるとは思えません。

コンビニ店員の雇用を生み出すより、若者にスキルの身に着けられる職場を提供したり、トレーニングの機会を与えるほうが社会にとって大切なのではないでしょうか。

店の自動化の試みは以前からありました。なので、技術的にはすぐにでもできますし、現にキヨスクや大手スーパーではやっています。技術革新などなくてもできることはいくらでもあります。

電子書籍などもそうで、私は10年ほど前にKindleを買いましたが、最初に見たときは「なんじゃこれ」と思いました。画面が子供のころに遊んだゲームボーイと同じだったからです。

ゲームボーイとはNintendoのケータイゲーム機で、当時最初に出たときは白黒でしたが、夢中になって遊びました。

画面の解像度などは違いますが、基本的に中身は大差ないでしょう。

つまり、電子書籍とは技術革新の結果生まれたものではなく、持ち運びやすさ、収納性、管理のしやすさなど、モノがあふれた現在の社会状況に必要とされた結果普及しただけだということです。

なので、なくなる仕事を考える場合、AIがどうとかはひとまず置いておいてもいいのかもしれません。

結論:仕事を一所懸命やればいい

身近にある単純な仕事をとことんまで効率化し、究極的には自分自身不要になるところまで仕組み化をやってみるべきでしょう。

我々は現在狩りにもいかないし、木の実を集めなくても飢え死にしませんが、昔はよかったとを嘆く人はいません。

しかし、狩りに行きたければ行ってもいいし、獲物がいる限り猟師がこの世からなくなることもありません。

状況はあまり変わっていませんが、スピードが速く、戸惑っているだけなのです。

ペットショップ

愛玩動物の末路

この間ふと疑問に思いました。「ペットショップで売れ残っと動物はどうなるのだろう」

私がなぜ疑問に思ったのかというと、普通の経済動物には看取りの場面が必ずあるからです。

例えば、『百姓貴族』という漫画があって、農家の生活をテーマにしたギャグエッセイ漫画ですが、内容は農家の生活がいかに非常識かをコメディとして描いたもので、その非日常感や、動物や自然との戯れが面白く、私も大好きな漫画なのですが、ギャグのふりをしてかなりまじめな部分も描いており、その一つが動物を殺処分する話です。

家畜は利益を生み出さなくなった時点で処分せねばならず、それは経済動物として生まれた時点でしょうがないことで、かわいそうだからというだけでペットとして飼っていたら農家がつぶれてしまいます。

農家の人ももちろん殺したくはないし、殺処分が問題というのなら、それを消費する社会全体の問題としてとらえねばなりません。

ですので、農家の方もできるだけ生かそうとするし、苦しまずに何とかしようとしたり、別れの瞬間にもやもやした感じになるのが描かれています。

荒川氏はそこに納得出来なかったようで、その経験がヒット作『鋼の錬金術師』に生かされています。主人公の錬金術師の兄弟は幼いころに母親を亡くし、その寂しさから母親の復活という、禁じられている錬金術を行おうとします。しかし、完璧なはずの術が失敗し、代償に自分たちの体を奪われることになります。

これは荒川氏の「命は特別である」という考えに基づいていると考えられます。

私は最終回で命に対する何らかの答えを示すものと考えていましたが、「わかるはずのないもの」というのが答えだったように思いました。

私の思い込みかもしれませんが、農家の方には命に対するリスペクトがあるように思います。家族経営している場合自分の子供に「モノだから壊れたら捨てるだけ」と教えるとも思えませんし、アメリカのように狭い柵の中にぎゅうぎゅう詰めで育てたり、フォアグラのように不健康に育てて太らせる文化も元々ありません。

ではペットショップの場合どうでしょうか。

経済動物の場合殺す場面は必ずあるはずです。けがや病気にもなるし、大きくなった犬猫は需要は低いでしょう。売れないからといって飼い続けたら餌代がかかるだけですし、よそにあげていたら販売価格自体下がってしまいます。

このブログで書いた曲がったきゅうりの話です。

まっすぐなきゅうりを食べるためには曲がったきゅうりを捨てなければいけません。

2013年に動物愛護法が改正されてペットショップは動物を保健所で殺処分できなくなりました。もちろんそれ以前は何の罪にも問われなかったということですが。

しかし、2014年にブリーダーが80匹の犬を河原に遺棄する事件が発生しました。河原に遺棄することで事件が明るみに出ましたが、もし焼却なり、埋葬なりしていた場合誰にも気づかれません。

実際「引取り屋」という職業は存在し、1匹1万円程度で引取り、採光も換気も十分されていない狭い糞だらけのコンテナの中に押し込めて、亡くなれば処分するということを繰り返しています。

しかし、現在の法律では罪に問うことはできません。

欧米ではペットショップ自体を禁止にしている国が多く、ペットショップとは餌や用品を売っている店のことを言うそうです。その中でも1番厳しいのがイギリスで、動物愛護に関する法律は70を超えるそうです。

結論:知らないでは済まされない。

ペットが売れるたびに補充するための動物を生産し、売れ残りや病気の動物を処分します。かわいいと思って買ったペットの後ろに何匹もの犬猫の死体があることを意識しましょう。

ちょっと経済学っぽい話

曲がったきゅうりはなぜ店にないのか

以前TVで食糧問題がテーマの番組をやっていた時、「店にまっすぐなきゅうりしかなのは他を捨てているからで、もったいない」という話をしていました。

確かに一部は加工食品に回しているようですが、同じサイズの野菜を作ることなど不可能なはずなのに店頭には同じサイズしか並んでいないのは不自然な気もします。

「捨てるのもったいない。曲がってても買う。」という人も多いでしょう。

では、我々は店頭にまっすぐなきゅうりと曲がったきゅうりが置いてあった場合どちらを買うのでしょうか。

おそらくほとんどの人がまっすぐなきゅうりを買うでしょう。

牛乳などでも奥のほうから賞味期限が一番長いものを取り出して買う人がいるのに、同じように並んでいるのに曲がっているものを買うのは何か損をしたような気がしませんか?

1円でも安いものを買いたい、損をしたくないといった心理ができるだけよいものを選ぼうとするのかもしれませんね。

なのでもったいないと言っている人の本音は「曲がっているものでも買うよ、ただし安ければね。」ということでしょう。

しかし、売る側の立場からすれば、1個当たりの値段はできるだけ高くして売りたいはず。『国富論』にも書いてありますが、人間が1日に食べられる量には限界があるので、大量生産してもたくさん買ってくれるわけもなく、売れ残ってしまいます。なので、できるだけ単価は上げておきたいのです。

ですが、ヨーロッパの農家の収入は9割が税金だそうです。農業大国のイメージがあるアメリカで6割、日本の場合は2割です。

これを、国に頼らず農家の自助努力とそれを支える消費者に支えられて日本の農家が成り立っているとみるべきなのか、国の基盤をかなり不安定なシステムに負担をかけながら成立しているとみるべきなのかはわかりませんが、今回は別の話。

価値は自分で決められるが価格は他人が決める

経済学はいくつかの単純な原則から始まっています。

  1. 同じものなら少ないものは安い
  2. 腐るほどあったら無料
  3. 情報の完全性

等々ですが、1はリンゴ2個より1個のほうが安いのでわかりやすいですね。2はよく空気でたとえられますが、無いと死ぬけどなくて困ることがないので無料ということですね。3はちょっとややこしいですが、どのお店が一番安いかはみんな知っている。ということです。

キュウリで言うと、1では曲がっていてもデカくてお得と考える人がいたとしても、変なきゅうりということで価格が安くなってしまうので廃棄されてしまう。

人間も一緒で、例えば恋人がかっこ悪い服装でデートに来る場合、自分がその人を本当に好きだとしても、周りの人にばかにされたり低く見られたりしてしまうので関係を考え直さざるを得ないなど。

2では実際はきゅうりは腐るほどあるので、例えば1個だけ残して100個捨てたりすれば、その1個に100個分のコストを乗っけられるので1個しか食べない人にも実質100個分売ることができるということですね。

なので、昔に比べて格段に生産性が上がっているのに昔と同じもののはずのきゅりの値段が高くなっているのは単に数字上のものではなく、「品質」が上がっていると解釈できます。

なので、もしAmazonが大量生産で1個1円のキュウリとかを作ってドローンで無料配達してきゅうり農家をすべてつぶすことも将来的には可能なのかもしれません。

3が一番非現実的に見えるので、経済学の不完全性の話でよく出てきます。普通に考えて日本全国で値段も違って当たり前、実質近所のスーパーしか行けないし、すべての広告に目を通すのも無理な気もします。

しかし、ネット通販のおかげで、最安値を瞬時に判断して購入することができるようになってきています。

さすがにきゅうりは無理じゃないかと思われるかもしれませんが、さっきの話のように、Amazonが現地の土地を買い、野菜工場で自動生産し、主婦がぽちっと押すとドローンがきゅうりをもいで数十分で持ってきてくれるとなると、新鮮なきゅうりが数円で手に入るのに、スーパーへ行く意味がありません。

農家の人はもとより、運んでくれる運転手の人から農協、卸売市場、レジのお姉さんや品出しのおじさんまで一気に失業かもしれませんね。

結論:経済学がわかれば未来を予測できる。

今現在、テクノロジーの発達が資本主義に拍車をかけています。資本主義とはつまり ”お金”主義。お金があれば何でもできると信じることです。もちろん、今現在、永遠の命を望んでもかなわぬ夢ですし、ビル・ゲイツが明日金星に行こうと思ってNASAに電話しても「明日はやめておこう」と言われるでしょう。

しかし、iPS細胞が本格的に実用化すれば、内臓を全て入れ替えて永遠に生きることは可能かもしれませんし、ビル・ゲイツが自分の資産だけでなく、資金調達して事業として金星行きを計画した場合、余生を金星の周回軌道で過ごすことは可能かもしれません。

テクノロジーの発達が、お金でできる領域をどんどん増やしているのです。

しかし、どんなにテクノロジーが発達しても、資本主義というシステムの上で運用されるので、「お金がないと何もできない」という状況にもなりかねませんし、「これからの未来はどうなるんだろう」という不安も付きまとうでしょう。

なので、経済学の一形態である資本主義を理解するにはやはり経済学を勉強しないといけないということですね。

筋トレ日記4(2019/6/22)



ベンチプレス

30KG*10REP

45KG*8REP

55KG*6REP

65KG*3REP

75KG*2REP MAX換算:81KG

 

懸垂

14REP-逆手16REP

シットアップ

15REP

順調に成長中

MAX換算値は変わらず。しかしふつう重量を上げると換算値は下がるはずなのに変わらずでした。こういう場合は実質成長しているときですね。

重量も軽く感じたし、次回は75KGにも少し慣れると思うので75KG*4REPはいくかも。

ダンベルで追い込みしようとしましたが、やはり肩の痛みを感じたので止めました。成長もしているので今は我慢の時かな。

 

ホリエモンが年金騒動に油を注いでいる件

いろんな有名人や評論家の人がホリエモンを批判していますね。彼らの言うことはもっともで、年金は破綻しなくとも、若い世代はもらえる分が少ないのに年金を徴収されている人がほとんどなので、税金でないのなら返せといえば返さなければいけないような気はします。

しかし、ホリエモンが言いたいのはそもそも国に頼らず自分で稼げということでしょう。つまり、「泥棒は金返せ」と言っている人と、「泥棒が金返すわけねぇ」と言っている人の対立に思えます。

どちらが正しいのかというと、正しさで言いえば金を返せと言っている人でしょうか。正当なプロセスを経て自分の意見を言い、行動を起こしている人が間違いなわけがありません。やはり、泥棒は金を返すべきです。

ただ、この議論の根底にある問題は政府への甘えだと思います。

国民が「だまされた。ひどいよ。」と言って評論家も正当な手続きを経て法律を変えるべきと促していますが、言い方は悪いのですが子供の駄々をあやして仕事している気になっているようにも若干見えます。

現実問題、高齢者のほうが多い現状、選挙で現行の制度を覆すのは不可能でしょう。年金制度以前に、格差の広がり、雇用の喪失、引退という概念のあいまい化の末、年金と生活保護を一体化する可能性は私は高いと考えています。

つまり、結局自分の身は自分で守るという常識に落ち着く議論ではないでしょうか。

筋トレ日記3



ベンチプレス

30KG*10REP

45KG*8REP

55KG*6REP

65KG*3REP

70KG*6REP

 

懸垂

14REP

コメント

前回左足の甲が激痛になったためスクワットが原因と考えてスクワットなしにしました。痛風と診断されましたが、痛みも捻挫とかに近く、痛みについても質問されず、あまり触って確かめておられなかったので、いささか診断に疑問を持ちます。

もし慢性化するなら別のお医者さんに診てもらおうかと思いますが、痛みは今ほとんどないのでこのまま静観します。

ベンチプレスに関してはかなり70KGが軽く感じました。次は75KGで1,2回やってみたいと思います。

腰にも少し負担をかけているように感じました。無理は禁物

パンプセットはやっていませんが、やると型に負担がかかる感じがします。現状でもレベルアップするみたいなので、ケガが治る気配を感じたらさらに追い込むとします。



AIとは何なのか(簡単に説明)

近年何でもかんでもAI、AIですね。一時期のマイナスイオンを彷彿とさせます。「AIで仕事がなくなる」とか、「AIの搭載されたエアコン」とかです。

しかし、専門書を読むと、専門家が難しい説明をしているだけで、今のビジネスの現状とごっちゃになってい議論されています。そこで、AIとは何かの本質は置いといて、これからどう役に立つかを簡単に説明したいと思います。

ユーザーは単なる自動プログラム程度に思っておけばいい

全くテクノロジー系の知識のない人の場合AIといわれると、「何だかよくわからんがITですごいイノベーションが起こっていつかは人間みたいなのも作れるらしい」

というところだと思いますが、

現状で一番近いAIの定義は「ディープラーニングを使っているプログラム」です。

もともとは画像認識のコンテストでディープラーニングを使ったプログラムが、他を圧倒する成績を出したことから注目が集まり、それからみんなディープラーニングを使いだしたのが始まりでした。

しかし、プログラムである以上、人間がしていることを代わりにやっているだけなので、それほど難しく考える必要がなく、ユーザーとしてはたんなるプログラムであり、特別なものではないと思っておけばいいと思います。

よく仕事で「AIを使えば自動化できるのではないか」という話を聞きますが、しかし、「別にディープラーニングじゃなくても出来ますよ」というものが多いです。

なので、AIの前にまずプログラミングを勉強しましょうということですね。

ディープラーニングは何が優れているのか

ディープラーニングとはニューラルネットワークの1分野として90年代ごろにはすでにあったのですが、ただ計算量が膨大になるので、なかなか優位性を発揮できていませんでした。

近年コンピュータの性能の向上によりやっと使えるようになってきたということです。

ディープラーニングが優れているのは、画像認識などのデータが膨大でそれぞれのデータが複雑に相関しあっていて、簡単に閾値を決められないものに有効です。

例えば、画像などはそもそも粒々が集まってできているので、例えば犬を認識したい場合、どの粒がどう集まると耳で、目でそれがどう集まると顔で、などとそれぞれの粒々に対して処理をしなければいけません。

他には、農業では気温、天候、湿度、葉の色から病気になりそうな葉を見つけて間引くなど、以前は職人が勘と経験で行っていた作業ができます。

しかし、ディープラーニングといえど、最適解を求めるだけなので、将来的に人間の思考を再現できるとは思えませんが、それはまた別のお話。

そして、完全な人工知能の開発は人類の夢なのでいつか開発はされるとは思います。しかし、これは「ホモ・デウス」という本に書いてありますが、別に人工知能が完成して、単なるプログラムに意識が生まれるかどうかなどその時の人類にはどうでもよくなっている。というのもまた別のお話です。

結論

AIよりまずプログラミングを勉強すればよいということになりますね。

人の寿命の限界は

先日リベラルアーツ大学の両学長が今話題の年金問題を取り上げておられました。

https://twitter.com/freelife_blog/status/1139291633059373056

結論としてはTwitterにもある通り年金は崩壊しないが年金だけで生活するのは無理とのことでした。

というか老後をすべて国に任せて面倒を見てもらうというのはどこの国でも無理があるとも思いいますが。

そもそも人は何歳まで生きられるのか

人生100年時代といえば、ライフシフトという本がベストセラーになってますね。

人間の寿命がどんどん長くなるので、単純に会社の定年にとらわれず、いろんな職種についたり、年を取れば徐々に自分の時間を増やしたりと、今までの会社に人生を預けるやり方より、もっと柔軟なキャリア形成を考えるべきであるという内容ですが、

果たして人間は何歳まで生きられるのか。

130歳まで生きている人はいない。

ギネス記録二人芸されている最高齢は1997年に亡くなられたジャンヌ・カルマンというフランスの女性です。この方は122歳まで生きられたそうですが、Wikipediaをざっと見る限り、120歳を超えた方は他にはおられないようです。

よく200歳まで生きたとか伝説っぽい長生きの人はたまに聞きますし、百年前の資料が残っているのか疑問もありますが、 ジェロントロジー・リサーチ・グループ に認定された人は大体110代後半なので、信ぴょう性は高そうです。

なぜ人は120年が限界なのか

おそらく、人体をマシンとして考えた場合、耐用年数がおよそ120年になっているのでしょう。

何の故障もなく、適度な運動、食事、ストレス等々で遺伝子に問題のない人物が安全に過ごした場合でも、内臓などの寿命が120年で尽きてしまうのが考えられます。

車などでも初期不良ですぐ壊れるものや、品質が高く壊れにくいものはありますが、部品の形状や使用環境などから大体の寿命は予測できます。人間の内臓の耐久試験やエイジング試験などするのは難しいかもしれませんので、じゅみょうからよそくするしかありません。

平均寿命120歳はいつ来るのか

こちらも過去のデータから予測するだけなら可能です。

金融庁の報告書にもある通り、1950年の平均寿命が60歳で、現在の平均寿命が81歳ですので、ここ70年ほどで20歳ぐらい平均寿命が延びています。

単純計算で140年後の平均寿命が120歳になります。

現実的な計算をすると、現在30歳の人が100歳になるとき、つまり70年後の平均寿命が100歳になります。

具体的な医学的進歩としてはiPS細胞による臓器の入れ替えによる寿命の延びが考えられます。西洋医学とは、基本的に対処療法、プラグマティズムにのっとって、「なんだかわからんが治るからよし(*’▽’)」なので、西洋医学の極北といえるでしょう。

100歳まで生きたいかどうか

この話をすると「100歳まで生きられるわけがない」とか「100歳まで生きたいとは思わない」という意見を聞きますが、我々の現在の年齢に対する感覚も、70年後には変わっているでしょう。現に我々の感覚も以前とは少し違うように思います。

昔の映画などを観ると、いかついおじさんが出てきて、自分より年齢が低いことに驚かされます。よくネタにされるのがサザエさんに出てくる浪平さんは54歳、サザエさんは24歳です。今では54歳はおじいちゃんというよりもおじさん、24歳の女性はまだかなり子供っぽかったりします。

なので、未来の80代が今の80代より全然若かったり、未来の100歳の人が「120歳まで生きたいとは思わない。」とか言っている可能性が高いですね。

結論

現在の医学と平均寿命の推移から今の若い世代は100歳以上生きそうなので、それなりのプランを練っておくべき。

今度は年金は若い世代はどれくらいもらえそうなのか、100歳以上生きる場合のプランはどうすればいいのかを深掘りしていこうと思います。

筋トレ日記2



ベンチプレス

30KG*10REP

45KG*8REP

55KG*6REP

65KG*3REP

70KG*4REP

 

懸垂

逆手 16REP

スクワット

15KG*15REP

総評

ベンチプレスがかなり軽く感じた。おそらく次回は5REPいけると思う。

左足の甲に痛みあり、スクワット途中で断念。次回は少し重量を増やす予定。

効いてきてる感じあり、やはり3日に1回一定にやるべき

サメの魅力とは

サメ好きの芸能人やサメ映画が多く作られることからも、サメには一定数のファンがいるようです。ではなぜサメには人気があるのでしょうか。人がサメにひかれる理由を考えてみたいと思います。

魅力的なサメベスト3

3、シロワニ

ワニといってもサメ、というサメそのものですね。日本では昔サメのことを鰐(ワニ)と言っていて、ワニを最初に知ったとき区別がつかなかったそうです(ややこしい)。動きは非常にゆっくりしていて、人はめったに襲わないようです。

見開いた眼が恐ろしく、歯の並びが不気味ですね。

2、ホホジロザメ

サメ界でも一、二位を争う人気種でしょう。映画「ジョーズ」のモデルになったサメで、体長は6メートルほどで巨大です。「ジョー」という言葉はあごという意味で上あごと下あごで複数形のジョーズになっており、映画の「ジョーズ」が有名になってサメのことをジョーズと呼ぶようになったそうです。

目がどこを見ているかわからないところが怖いですね。

3、オンデンザメ

こちらはそれほど有名ではないサメでしょうか。深海に住んでおり、幻のサメだそうです。八景島シーパラダイスにオンデンザメの卵があり中で小さいサメが動いているのを見ることができましたが、大変貴重です。

オンデンザメはほとんどの個体の目に寄生虫がついており、目が見えないようです。最近の研究で寿命が非常に長く、400歳を超える個体もあるそうです。

サメの魅力とは

1、強さ

これは非常に簡単ですね。子供が恐竜にあこがれるように、やはり獰猛なサメが魚を食べたり、人に襲いかかり檻にかみついたりしているさま興奮するというのが簡単な説明だと思います。

2、大きさ

これも簡単な理由ですね。ジンベイザメなどは世界最大の魚類ですし、一般的にサメとは巨大なイメージがあります。小型のサメもいますが、大きさはやはりサメの魅力の一つでしょう。

3、孤独

私はサメが人気なのは本当はこの理由ではないかと思います。

サメはオンデンザメ以外も視力が弱くほとんど臭覚に頼っているようです。そして、最近知ったのですがサメには味覚もないそうです。のどや口である程度の味は感じるようですが、舌には全く味覚がなく、なんでも丸のみにしてしまうのもそのためのようです。

オンデンザメが一番この孤独を体現しているようなのでここに入れました。

深海を非常にゆっくり群れることもなく泳ぎ、血の匂いをかぎつけたらとりあえず獲物を味もわからず飲み込む。泳ぎをやめれば死ぬのでただひたすら泳ぎます。

変なものを飲み込んで死ぬサメや、人間の乱獲のせいで、最近は絶滅の危機にあるものも結構いるそうです。

サメは見た目に反して弱く、孤独です。

結論

獲物をひたすら追いかけてがむしゃらに食い散らかしながらも、サメは見えない目で泣いているのかもしれませんね。