水木しげるのエッセイ『カランコロン漂泊記』について、2019年当時に書いた読書感想です。ここでは歴史上の出来事を検証するのではなく、私がその語りをどう受け取ったかをまとめます。
昔の文章を読む意味
昔の人のエッセイや、昔に書かれた本は読んでおいた方がいい、と感じました。フィクションかノンフィクションかに限らず、その時代に触れられるものには、今の自分の感覚だけでは考えにくい場面が出てくるからです。
この本でも、軍隊での生活や南方での人々との関わりについて読み、「もし自分が水木さんだったら、どうしただろう」と考えさせられました。過去を知識として眺めるのと、その場にいた人の語りから自分の振る舞いを想像するのは違います。
食べること、眠ることが前に出る語り
当時の私には、水木さんはとぼけた印象がありながら、食べることや眠ることに必死な人として映りました。厳しい環境での振る舞いを読み、自分だったら怖くて同じようにはできないだろうと思いました。
それは単に無頓着な人だという感想ではありません。世の中を少し斜めから見つつ、面白がっているように感じたのです。重い経験が語られていても、人柄の手触りが残ることが、私には印象的でした。
感想と歴史の検証を分けて読む
一人の文章に強く心を動かされても、それだけで当時の制度や被害の全体像を説明できるわけではありません。著者が何を経験し、どう語ったのか、読者がそこから何を連想したのかは分けて扱う必要があります。
この読書感想では、引用の正確な箇所を確認できていない発言を、著者の言葉として再現しません。また、食欲や気力が長寿の原因だったという医学的な説明もしません。私が残したいのは、生きようとする姿勢を文章から感じ、価値観を揺さぶられたという読後感です。
どんな読み方に向くか
事件や制度を手早く整理するための資料として読むより、一人の語りを通して、自分ならどう受け止めるかを考える読書に向いていると感じます。歴史の事実確認が必要になったときは、別の資料にも戻る。その距離を保ちながら読むことで、エッセイとしての声を受け取りやすくなります。
2019年の私は、水木さんが過去の経験を本に残してくれたことに、読む価値があると感じました。今とは違う時代の話に触れ、自分の当たり前を疑うきっかけになった一冊です。
