『レディ・プレイヤー1』感想――キャラクターへの感動と、変わらない社会への疑問

2019年当時に書いた『レディ・プレイヤー1』の感想です。結末を含む内容に触れます。キャラクターの登場に心が動いた一方、作品の社会の変わり方には疑問も残りました。

勝利のあと、世界の仕組みは変わったか

いわゆるディストピア映画ですね。

厳しい現実の暮らしから、「オアシス」
という仮想空間へ向かう人々が描かれます。そんな中で主人公はそのゲームの所有権
を賭けて戦うという話。

ふつうディストピア物の映画は、真実を暴いて革命を起こして自由を手に入れたりするものですが、この映画は結局みんながスラム街でゲームで現実逃避をしながら生きていくという構造自体は 変わっていません。

あと、主人公の家族も殺されていますが、親代わりの叔母とその恋人とは仲が悪く、その喪失が十分に掘り下げられたようには、私には感じられませんでした 。私がこれまで見たスピルバーグ作品には家族との絆という印象があり、ストーリーが進んで困難を乗り越えつつ、家族との絆を深めていくのですが、それはなし。SF設定としても、これからはVRとドローンですねという感じで、全体的にふわっとしています。 これは監督本人の意図の確認ではなく、設定の掘り下げに関する私の物足りなさです。

登場するだけでなく、物語にからむ喜び

見どころはあらゆるゲーム、アニメ、映画のキャラクター が登場する所。モブで登場するだけでなく、技の名前やキャラクターが ストーリーの要所要所でからんでくるところでしょう。私は「ガンダムで行く」というセリフには目がウルっときました。 こんな映画がどんどんできればいいなと思いつつ、スピルバーグ以外では無理なのかもしれませんね。

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