サバイバル番組を見て考えたアウトドアの意味――2019年の感想

2019年当時の番組の感想です。番組上の挑戦は一般向けの安全なサバイバル手順ではありません。末尾の「何を置いていくか」は暮らし方への問いであり、衣類、水、通信手段、救急用品など必要な安全装備を省くことは勧めません。

ディスカバリーチャンネルのサバイバル番組を見て、便利な物を持たずに過ごすことの意味を考えました。

2019年当時、ディスカバリーチャンネルがYouTubeで公開していた番組を見ていました。現在の配信状況や無料公開の範囲は変わる場合があります。

内容はサバイバルスキルのある初対面の男女がカバンに1つだけのアイテムの持ち込みを許可されて、全裸で21日間サバイバルするというものです。

番組を見て、寝床、水、食料を確保する大切さを感じました。いわゆる「3の法則」を固定の生存期限として使うことはできません。寒さや脱水の危険は環境と体調で変わるため、一定時間は大丈夫だと考えて救助や対応を遅らせないでください。

ただ、生きるか死ぬかの危険な状態を見ていると、色々考えさせられます。

生物が「個」で生きることは不可能

できるだけ原始、自然に近い状態になるための「全裸」なのでしょうが、彼らは何も持たないわけではありません。その体は親にもらったものであるし、知識はインターネットや書籍から得たのかもしれません。原始時代にもちろんネット環境も本もありません。何も持たずに自然の中に入るというのはそもそも不可能なのです。

私は、番組の挑戦と、自分で選ぶ余地のない実際の災害は別だと感じました。仮にスタッフもおらず本当の命懸けだとしても、並々ならぬ決意でジャングルの中に入ったとしても、入ることを選んだのもジャングルを選んだのも本人の意思です。衣食住のある環境からあえて離れることには、現代の生活があるからこその意味もあるのだと思います。

環境や歴史の積み重ね、周りの仲間、それらすべて合わさって生物が個として生きていけるのです。電線や発電所がなければ我々が家でTVも観れないように、ワニも砂漠の真ん中に連れてこられても水辺がなければ死んでしまいます。ワニやほかの生物も自然の一部であると同時に自然に生かされているにすぎません。

サバイバルの意味とは

ではサバイバルは無意味なのでしょうか、何故私はこの番組を面白いと思って観てしまうのでしょうか。

それは「人間の小ささ」を感じられるからだと思います。

普段使っている道具や設備から離れた人間が、自然の中でどう過ごすのかを見たいからだと思います。そうすることで「生きる」ということが何なのかを感じたいのだと思います。

私自身河原で焚火をして肉を焼いて食べたりしますが、帰り道で泣いてしまったことがあります。おそらく人間の社会システムから離れてより大きなシステムの中に入ったような気がしたからだと思います。お金がなくても、仕事をしなくても本当の意味で生きていけるような気がしたのではないでしょうか。

アウトドアを有意義に過ごす方法

なので、これはキャンプでもバーベキューでも同じだと思うのですが、意識すべきことは「何を持っていくか」ではなく「何を置いていくのか」 ではないでしょうか 。

家や店で焼けばいいものをわざわざ炭を焚いて外で食べるのは、そして食べておいしいのは普段感じない調理過程を体感したいのではないでしょうか。

自分で一生懸命作った料理がおいしく感じられるように火を起こして炭に火をつけ直接焼くことで、本当の意味での命をいただくということに一歩近づけるからではないでしょうか。簡単に言うと自然を感じるということですが、それは同時に生きるということ、自分とは何かを感じるためでもあると思うのです。

体験として読むための補足

河原で肉を焼いたときの感情は、私自身の記憶です。それは、道具や社会の支えが本当に不要になったという証明ではありません。「置いていく」と考えたのは日常の忙しさや便利さへの依存であって、安全装備を減らすという意味ではありません。

当時の別の写真付き記録はバーベキューでいろいろ焼いてみたにあります。架空の自給生活との違いは一人きりのモールの思考実験でも整理しています。

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